案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月19日日曜日

鞍馬線 岩倉から見る比叡山

京福鞍馬線 岩倉盆地」でコメント戴いたkawkさんの情報から
デオ300の写真を探してみるともう一枚ありました。
ちょうど背景に比叡山が写っていたのでアップしてみます。
kawkさんのコメントに因れば岩倉駅付近から見る比叡山の姿が一番美しいとのこと。
たまたま岩倉駅で降りたのが幸運でした。


比叡山をバックに岩倉盆地を行くデオ300.  1969.1.2 画像クリックで拡大
この日デオ200は盛んに走っていたが、デオ300(2両在籍)は滅多に来なかった。



岩倉盆地を行くこちらはデオ200


2012年2月15日水曜日

栃尾線 気になる客車2題

上見附駅の構内で目に止まった気になる2両の客車。ユーモラスなカマボコ屋根の客車と、古い都電を改造した客車。これらは昭和48年の栃尾線近代化(総括制御編成化)の数年前まで活躍した。

撮影: 全て1964.3.22
カマボコ屋根のホハ20.上見附  画像クリックで拡大
駅の脇には日通の建物から排出される煙、その先に朽ち果てそうな建物が並ぶ1960年代の風景が.

そんな風景を背に停車していた簡素な作りのカマボコ客車。昭25年自社工場で新作されたホハ20で、もう1両の同形ホハ21は何と電車に化けている.模型でも簡単に作れそうなカタチに思わず車体各部の寸法を測ってしまった。

↓が元カマボコ客車ホハ21を改造して出来た電車で、元の面影は全くない.
細面で中々スマートなモハ211(元カマボコ). 悠久山
写真を付け合わせてみるとこの編成はモハ211+ホハ11+ホハ20で、
なんと味わい深い編成だろうか.


元都電のホハ11.上見附
こちらは昭3年汽車会社製の元都電杉並線の電車を客車化したもので、妻面の窓が低いのが元路面電車らしい.アーチバー台車に交換など改装してすっかり軽便客車になりきっている。


発車待ちの元都電ホハ11の車内には子供が一人.
車内は木作りで両開き式の客室ドア、紐のような吊皮、網棚やシート等 都電の名残りかも知れない.
客車内は寒いせいか乗客の多くは前の電車に乗り込んでいた(下の写真)

手をつないだモハ211(元カマボコ)とホハ11(元都電).



2012年2月5日日曜日

東野鉄道 西那須野駅

東北本線西那須野駅の待合室で、頭上を通過する新幹線の轟音を聞きながら東北本線を待っていた先日、ふと東口方面を眺めると冬の青空に白い雲がポッカリが浮かびこの駅前から出ていた東野鉄道のことが思い起された。

遠い昔この東口駅前に東野鉄道のホームがあった. 2012.2.3 画像クリックで拡大

西那須野東口駅前.東北本線の上を新幹線が走る.
東野鉄道のホームがあった東口駅前に立つと、新幹線のコンクリートの城壁で
西方面の那須連山の景色は何も見えなくなってしまった。

東北本線宇都宮・上野方面が3番線であるのは今も昔も変わらない.

4番線の東野鉄道のりばへ向かう連絡通路があった. 1966.12.30

この時は蛇尾川鉄橋の流出で西那須野~大田原間の折り返し運転で、
朝の3本を逃すと次の列車は夕方までない.


西那須野駅を出て右にゆるくカーブする廃線跡が遊歩道に.2010.12.7
次の乃木神社前駅のモニュメント.この先大田原まで遊歩道(廃線跡)が続く.

こんな景色の中を西那須野~大田原間を往復していたキハ501(元五日市鉄道) 1966.12.30

那須連山を望む大田原駅の光景. 1966.12.30
大田原駅についての過去のアップはこちらです。