案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年7月28日木曜日

京王線 中型車最後の活躍2

大私鉄京王線の昔の電車の写真を並べても面白味がないが、この中型車だけは別であった。
他の車両と違って5両編成の動的な魅力と、切り離せば地方私鉄がイメージされる静的な魅力があった。

都会電車京王線もまるで地方私鉄のような雰囲気があった.

デハ2150形2165    1963年4月 初台
甲州街道の道路中央を専用軌道化した区間をダブルルーフの電車が走っていた.
京王線新宿駅は1963年4月に現在の地下駅が完成し、この風景もこの直後に地下化された.


デハ2150形2165   下高井戸  1962.12.7
個性溢れる美しい外観をしたデハ2150形.


デハ2125形2128  代田橋  1963.7.19


デハ2150形2161.   1963.8.11
ダブルルーフ電動車デハ2150形の中で最後まで残った5両は昇圧化で全廃となった.


1963年8月4日昇圧化した直後、車庫では役目を終えた中型車が集結していた。1963.8.11


2011年7月27日水曜日

京王線 中型車最後の活躍1

1963(S38)年、京王線の中型車は8月の昇圧化600→1500Vを迎え、最後の活躍をしていた。ネガにあったのはデハ2400形2125形2150形の最後の姿で、その中の2400形など数両がその後地方私鉄へ転出した。

現在の京王線 下高井戸駅風景.


 48年前の下高井戸駅. 1963年4月
デハ2400形2403を先頭に5両編成は全車パンタ付.
どの編成でもダブルルーフの電動車が組み込まれていた.


デハ2400形2410を先頭に東京郊外を走る.1963.7.31




デハ2125形2125   1963.7.31

デハ2125形2125   1963.7.31


2125形2128   国領 1963.7.31

2011年7月26日火曜日

多摩湖線の新101系

このところすっかりご無沙汰している西武多摩湖線の新101系を訪ねてみました。
新101系オール電動車263Fは08年春に登場し早や3年が経過。
相変わらず前2丁パンタの勇姿で活躍しています。

新101系オール電動車. 国分寺 - 一橋学園  '11.7.24

こちらはノーマルな2M2Tの新101系. 国分寺 - 一橋学園  '11.7.24

2011年7月20日水曜日

上毛電鉄 カレー色した電車


夕暮れの桐生  1978.1.14  ポップアップ

上毛電鉄といえばカレー色した無骨な電車デハ100形・デハニ50形と上州名物赤城おろしの空っ風が思い出される。ここもまた何の変哲もない私鉄であったが、改めて当時の写真を見ると赤城山を背に空っ風に吹かれて走るカレー色電車がいかにも上毛らしくて良かった。訪問した1978年は西武カラーの電車が入線していて、このあたりからカレー色した電車は一掃されてしまったのだろう。

空っ風に吹かれて デハニ52    ポップアップ
カレー色した電車 デハニ52


赤城山をバックに走る デハ100形

クハ601. 元国鉄木造車の台車を使い車体を新作。

大胡車庫の午後の日差し


大胡駅の交換風景 クハ601 と クハ301

デハ81.元東武デハ2形(前面5枚窓)  大胡

デハ181  大胡

西武カラーのまま入線した元西武車両  大胡

2011年7月12日火曜日

遠州鉄道二俣線 古典名車モハ1形

1964(S39)年春に西ヶ崎車庫を訪れると、第一線を退いた古典名車モハ1形が入換作業に余生を送っていた。1923(大正12)年の改軌・電化に際し日本車両に発注した5両で、生き延びた4両(モハ1、2、3、5)の美しい姿を見る事ができた。ドア上部が楕円形に縁取られた美しい車体に大きなブリルMCB台車を履き、奇麗にちゃ色に塗装された姿が堂々としていた。
こんな古典電車も消えゆく運命で、この年(S39年)の秋には奥山線も全廃となり、遠州鉄道の近代化が進められスカーレット一色に塗られた湘南スタイルの電車が象徴的であった。

入換作業のモハ3. 遠州西ヶ崎 1964.3.25

 
モハ1と5

堂々とした古典名車モハ2

1923(大正12)年の古典名車登場から35年後、
1958(S33)年登場した湘南スタイル モハ30形の時代へ.
遠州西ヶ崎. 1962年~ツートンカラー→スカーレット一色へ. 1964.3.25

2011年7月11日月曜日

遠州鉄道二俣線 真っ赤な気動車

遠州鉄道奥山線に向かうのに乗ったのが遠州鉄道二俣線で、度々の改称で今は鉄道線となっている。初めて訪問した時、遠鉄の新浜松駅で真っ赤な電車が待ち受けていた。毎度奥山線のついでに立寄っていたが、電鉄線なのに気動車が走っていたのが印象的であった。


狭苦しい新浜松駅 1963.4.4


二つ目の遠鉄浜松駅から奥山線が出ていた.右手が遠鉄二俣線ホーム


遠鉄浜松駅を発車した奥山線の気賀口行.


奥山線の軽便の脇を真っ赤な気動車キハ803が走っていたが、
当時 国鉄二俣線遠江二俣駅まで直通運転していたのを後になって知った.
  遠鉄浜松 1963.4.4


キハ803   遠州西ヶ崎 西鹿島 右手が国鉄二俣線  1964.3.25


西ヶ崎車庫のキハ800形(801~803)  
キハ802は北鉄能登線→筑波鉄道→つくば市さくら交通公園→さいたま鉄道博物館展示
と数奇な運命をたどった。

2011年7月7日木曜日

松阪線の丸妻電車4

「夏の日永駅」にやってきた2両の丸妻車をポンチ絵にしてみるとこんな感じに。
ところで、昭和50年頃の模型界では、1/80 9mmナローで部品やキットが盛んに発売されていて、「ひかり模型」は特に三重交通の車両の模型化に力を入れていたようであった。
丸妻電車も模型化されツートンカラー2両編成(完成品)が旧三重交通モ230形、サニ110形として販売された。私はてっきり松阪線の丸妻電車と思っていたが、モニ201形は電装解除後、モ261は改番後であり
あの転出後の一時期が模型化(下記ポンチ絵)されたのであった。



2011年7月2日土曜日

松阪線の丸妻電車2

三重交通松阪線→三重電気鉄道松阪線(S39年2月)
松阪線廃線(S39年12月)
三重線(内部・八王子線)へ丸妻電車転属(S40年1月~)
三重電気鉄道の近鉄への合併(S40年4月)
三重交通ツートンカラー→近鉄マルーン化(S40年4月~)

1年ちょっとの間に三重交通の目まぐるしい変貌があり、松阪線の丸妻電車の転属後は
トレーラ化されたり、近鉄マルーンに塗られたり、近鉄改番もある等で次々と変化して行った。
松坂線にいた丸妻3タイプはどれも似通っているため、絵にして変遷を記載してみました。


先日アップした松阪線現役時代の写真モニ201とモ250の廃線後は、上記のようにトレーラ化され更に近鉄マルーン一色へと変貌して行った。またモ261はずっと昔S26年の転属時にトレーラから電車になったもので、近鉄になって改番された。

以下、近鉄合併直後の昭和40年8月の丸妻車全5両はこんな姿に。

電装解除されたモニ201はサニ111となり、近鉄マルーン化の準備中.内部 1965.8.5

電装解除されたモニ202はサニ112となった.カラーはまだ三重交通ツートンのまま


電装解除されたモニ113はサニ113となり、近鉄マルーン化も終わった.


電装解除されたモ250はサ121となり、近鉄マルーンに塗装中.

近鉄合併でモ261はモ231に改番された.1965.8.5

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