案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年6月12日日曜日

松本駅の煙

1963(S38)年夏、松本電鉄浅間線訪問の後、松本駅の反対側ホームからから出ている島々(上高地)線の予定を止めて松本機関区を訪問した。松本機関区にはD50 D51 C56 C12などが所属し沢山の蒸機が煙を上げていた。

松本駅のD50. 1963.7.20  ポップアップ画像
ホームの向こうが駅前で、小さく見える温泉マークの左手あたりから浅間温泉行きが出ていた.

構内入替え作業で働くC12
松本機関区の扇形機関庫

松本機関区にまだキハ07形がいた時代.


篠ノ井線 D50重連 
ポップアップ画像

4 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

松本機関区では訓練用の木造給炭設備もありキハ07も見ることができて楽しかった。私はこの時代の国鉄ではSLよりローカル線の気動車に興味があったようです。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
木造給炭設備がありましたか。
松本機関区は親切に撮らせてくれて、よくまあいろいろと撮ったものです。気動車07は篠ノ井線の明科止まりで使われていたような気がします。篠ノ井線から見た素晴らしい景色が忘れられません。

青蛙 さんのコメント...

木造給炭設備については写真を撮っていますのでそのうちメールで送付したいとおもっています。この時代はまだ07が各地で動いていましたね。松本機関区のSL写真もその時代の状況ををよく反映しています。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
給炭設備の写真ありがとうございます。
国鉄SLはどこでも通りすがりの撮影ばかりで、お恥ずかしい限りです。