案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年7月15日木曜日

淡路交通2 島の電車

瀬戸内海の東端にある最大の島 淡路、そこは素朴な人情と郷土芸能淡路人形のひなびた味わいが醸し出す美しい島である。そんな土地にぴったりな電車が島の中心部 洲本からうず潮の福良までのんびり行き来していた。
真夏の淡路は強烈な陽の下、阪神方面からやってきた海水浴、キャンプの若者達、鳴門のうず潮見物の観光客でいっぱいである。そんな賑わいをよそに島の電車は行商人のおばさんや、工場帰りの若い女性達を乗せて、至ってのんびりしていた。沿線にはネギ小屋やため池が点在し、せまい畑にはまだ実の小さいスイカが夏の陽を浴びて転がっていた。
こうしたのどかな島の交通も、ご多聞にもれずバスが主力となり、洲本-福良間の立派な舗装道路には観光客を満載したバスが電車をしり目に景気よく走っていた。


広田 - 長田

二本松 - 納   1965.8.3

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

淡路島は通過しただけで記憶のない島でした。ここの鉄道も見学しておりませんので
車両のみならずこの地の風景にマッチした
淡路交通や人の動きが読み取れる写真集です。羨ましい。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん。
淡路は車両も素晴らしくて、紹介しきれない位 話題が多い鉄道です。少しずつテーマを決めて紹介したいと思っています。