案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年3月28日金曜日

西武新宿線 今年の桜

今年も西武新宿線 桜の名所が賑やかになってきました。新宿線の高架化で年々桜の木が切り倒され、いつまで見れるか桜の名所。

 

本日の石神井川の桜. 2025.3.28


昨日だけ運転の「52席の至福 お花見トレイン」桜スポットで徐行運転していた。025.3.27


2025年3月24日月曜日

成田 裏の路。

昨日の鉄道探索は成田裏の路だった。

京成ライナーを空港第2ビルで下車し、延々地下通路を歩いて東成田駅から芝山鉄道体験で京成成田に戻り、かつて成田山門前~宗吾間を走っていた成宗電車の第1と第2トンネルの遺構を見学した。
成田フライト客とは無縁の東成田駅までの地下通路体験。そして成田山参道の観光客とはおよそ無縁の京成成田から成田山門前までの電車道(廃線跡)散策。どちらもほとんど歩いている人を見掛けない路であった。

フライト客で賑わう空港第二ビル駅を後に延々500mの地下通路を歩くと芝山鉄道の東成田駅に到着する。芝山鉄道の東成田はフライト客とは無縁の駅で人が居なかった。

成宗鉄道の遺構第2トンネル。
京成成田から成田山門前へ向かう道路(軌道跡)は並走している超賑わいの参道とは正反対の静けさで、第1トンネルを抜けると間もなく成田山門前に到着する。そこには参道から観光客がどっと押し寄せていた。



京成ライナーで京成上野駅を出発


ひと気のない東成田駅


参道の賑わい


昼食は菊屋の鰻重

2025年3月19日水曜日

加悦鉄道 古典客車

加悦鉄道 古典客車の魅力を改めて振り返ってみます。

過去記事より。
「加悦鉄道 古典客車」 公開日 2013.3.12

昭和37年、加悦鉄道の加悦構内には数多くの古典客車が居て、保存鉄道ではなく現役の姿でこれだけの文化財が生きていたとは驚きの世界であった。どの客車も外観上は老いた痛みもなく、しっかり保守管理がされてきたのでしょう。

大江山を望む加悦鉄道の名場面 加悦   1962.7.31

現役の古典客車が休む加悦構内

ハ10 大正15年 梅鉢工場製

ハブ6 大正15年 梅鉢工場製

ハブ2 大正5年 名古屋電車製

ハ21 明治26年 新橋工場製

最古参客車 ハブ3 明治22年  ドイツ バンデル・チーペン工場製

ワブ1 大正15年 梅鉢工場製

休車中の2号機 明治6年 英国スチーブンソン製 元国鉄No.123

参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第1分冊 加悦鉄道

2025年3月15日土曜日

綺麗な木造客車

生きた鉄道博物館 加悦鉄道のハブ2.とても綺麗な木造客車です。
これまで私の出版で車両写真は使ってこなかったですが、こういう綺麗な木造客車の写真等は何かに使ってみたいものです。
ところで、この社紋は西武鉄道の社紋によく似ているのに初めて気がつきました。日々利用している西武鉄道なのに社紋には目が行かなかった。


加悦駅 1962.07.31

2025年3月7日金曜日

ヒギンスさんの写真展

昭和30年代の鉄道情景の素晴らしさを捉えたヒギンスさんの写真展。
明後日9日迄です。各社の車両カラーリングが魅力溢れていた時代。


・開催期間  2025年3月1日(土曜日)~3月9日(日曜日)

・開催時間 期間中の 10時~ 18時(入場無料)

・開催場所 東京都北区田端6 -1 -1 田端 ASUKAタワー 17階会議室
(山手線・京浜東北線 田端駅北口から徒歩1分)

https://photo-pub.co.jp/pg202503.html



2025年3月3日月曜日

淡路の魅力

時代が経つにつれ、淡路の失われた時代の魅力が益々強くなって来る。
淡路で最も印象深かったことを書いた記事の3回目。

過去記事より。
「淡路交通 昭和40年の洲本(3)」    公開日 2015.2.13
 
❼大衆旅館
バスが洲本駅に到着すると直ぐに宿さがしで駅前をぶらついた。どうやら駅前にある旅館は観光客向けではなくどれも素泊まりだと600円の割烹旅館であった。割烹旅館はちょっと小奇麗で我々向けではないので、さらに探すと大衆旅館というのが目にとまった。おそらく洲本では最低の部類と思われる佇まいで旅館の感じは全くなく周りの民家と同じようであった。交渉すると二食付き650円(素泊まり350円)である。宿はここに決めて荷物を預けたが、おかみさんの大声が何を言っているのかどうも方言でよくわからない。

一日、真夏の沿線撮影をして夕方宿に戻ると2階の一室に通された。ひどい部屋で置物もなければ掃除もろくにしていないようなただ寝るだけの物置のような部屋。二部屋あって一部屋に電球がないのには驚いた。もう一部屋だけに薄暗い裸電球が燈っていた。

夕食付であったが、なんと近所の食堂からの取り寄せであった。こんな宿は初めてでどうやらフロもないらしい。外から配達された夕食は山盛りのチャーハンであったが空腹にもかかわらずノドを通らなかった。
夕食後、宿の前にある銭湯に入ったがこれがまた独特の雰囲気。せせこましい銭湯で電気も薄暗く浴場が汚らしく見える。それでもきたない旅館の浴場よりはマシだったかもしれない。銭湯に来る地元の客はみな真っ黒に日焼けし、わが身がばかに白くて弱々しく見えたものだった。
当時の淡路の観光客は大抵「ホテル淡交」1500~3500円のような観光ホテルに泊ったことでしょう。鉄ちゃんが泊まる宿として観光ホテルは対象外で、この時の大衆旅館は汚さも度が過ぎたがむしろ洲本の懐かしい思い出となった。

島の電車の洲本駅近くの旅館に一泊した時の写真がなく、ストリートビューで今の洲本を巡ってみました。道路が広くなり町並みがすっかり綺麗になり、昔のあのすごい光景は全て建替えかと思ったところ、意外や昔をしのぶ建物も僅かに残っているようです。すごい宿や銭湯があったところには今マンションが建っているようです。

Googleストリートビュー 今の洲本

淡路の魅力

 時代が経つにつれ、淡路の失われた時代の魅力が益々強くなって来る。
淡路で最も印象深かったことを書いた記事の1回目。

過去記事より。
「淡路交通 昭和40年の洲本(1)」 公開日 2015.2.6 

島の電車で断片的に淡路島のことを取り上げてきましたが、今回は洲本の街に限定してこれまでの写真を再調整して整理してみます。

明石港~岩屋港経由して急行バスで遠路はるばる到着した洲本の街(昭和40年)の印象は、予想外に開けていたが大都市とは明らかに違っていてゴチャゴチャした街の風情に堪らない魅力があった。今では全国至るところ統一化されて殺風景になってしまったが、洲本の訪問記録を読み返してみるとこの時代ならではの凄い光景があった。一種独特の雰囲気、こんな風景を写真に記録してなかったことが惜しまれる。

❶三熊山山頂から見た洲本の街全景 1965年8月
淡路交通の電車が出ている洲本。街並みの向こう船着場から関西汽船や南海汽船の航路が神戸や深日と洲本を結んでいる。

❷洲本の漁港の光景 三熊山をのぞむ. 

❸洲本港 洲本~和歌山深日や洲本~大阪・神戸間を結んでいた.
和歌山経由で来た観光客をここで島めぐりバスが迎える.

❹観光客向相手の大通りで大浜公園、三熊山方面へ向う.



右に向かうと洲本駅電車のりばに出る.大通りには大衆食堂、酒場、喫茶、みやげ物店が軒を連ねている.ちょうど淡路島まつりで8月3日は盆踊り大会、どこからか盆踊りの音楽が賑やかに響いていた.
❺淡路交通電車バスのりば
洲本観光会館について。洲本の交通センターにあり一階喫茶室、二階特別食堂、大食堂、売店などで三階屋上には観光座があって島情緒豊かな淡路人形芝居を上演している(淡路交通パンフレットより)
この会館は殆どバス客向けに作られたようなもので電車の駅については何も触れていない。駅は立派な会館の一階の一遇を借りているに過ぎない感じであった。

➏洲本駅
➏洲本駅

↓ラベルの「淡路交通」クリックで淡路の記事全てが繋がります。

2025年2月26日水曜日

オリンパスペンから落穂拾い(7)

仙北鉄道 登米(とよま)駅.

落穂拾いではなく、落穂ひろいのネガで隣にあったコマを再スキャンしたものです。

登米駅は既に写真集などで使用したことがある画像です。


撮影:1964.8.4

軽便らしからぬ大陸的でゆったりとした終着駅.
画像を右クリック→新しいタブで開くクリック→新タブをクリックで横2000pix大の画像になります。



廃線後も使われた駅舎.


のひのびとした駐泊所


雄大な構内にポツンと気動車が1両.
(これのみ35mm判カメラで撮影)


2025年2月24日月曜日

オリンパスペンから落穂拾い(6)

松尾鉱業鉄道 東八幡平.

初めてスキャンした1枚に構内の機関区~貨物施設全体が写っています。

左手にホッパー、奥に跨線橋がありその脇に機関区、その右脇にあった廃車体が見える。


東八幡平の構内.


盛んに活躍していたED252.


上 ナハフ8、 下 ハニフ4 ?

2025年2月23日日曜日

オリンパスペンから落穂拾い(5)

仙北鉄道の佐沼駅 1966.3.1

35mm判の写真を使って紹介済みの佐沼駅の風景。
見慣れた風景だがハーフ判ネガの未キャンが見つかり初めてスキャンしてみました。 


佐沼駅の貨物列車 佐沼
トラック輸送幕開け直前の象徴的な軽便貨物輸送。軽便の小さな貨車が国鉄駅まで運び、そこから国鉄貨車へ積替えて各地に輸送していた時代。

佐沼駅


ト61 肥料を積んでいるのか


ワ621

ワ64



瀬峰駅

以下は瀬峰の貨物施設






脈絡のない栗原の電車.
仙北の次に向かった栗原電鉄.


2025年2月20日木曜日

SLが走った市電 3

川崎市電の過去記事より.公開日2016年4月8日

川崎駅前を出て京浜急行と並走する区間。

現在の川崎から想像もできない風景です。

撮影 田辺多知夫 1963.12.12
京急川崎駅からしばらく並走する川崎市電の専用軌道.


京浜急行との並走区間は工場地帯.

左に曲がり140号道路の併用軌道に入る.

京浜急行大師線デハ269と277 1963.12.12

特急あさかぜ 1963.12.12