「梁川」福島交通軌道線 1966.12月
電車はりんご園の間を走り民家が増えてくると梁川に到着。梁川は寂しげな終着駅ではなくよくある終着駅だった。待合室の時刻表を見ると列車は1時間に1本、切符を買っている間に、電車は合図もなく発車してしまった。
案内文章
2026年5月12日火曜日
梁川
2026年5月11日月曜日
さいわい橋
雪の川を渡る電車は、
年の瀬の光の中を走っていた。
山は遠く霞み、
木橋の匂いまで
冷たい風に混ざっていた。
使い物にならなかった不鮮明なハーフ判カラー画像がAIで蘇った。
福島では「記憶にある色を求めて」の車体カラーの検証ではなく、あの時の清々しい空気感を優先したので、車体カラーが濃くなっています。
2026年5月9日土曜日
沼尻の正月
「沼尻の正月」沼尻鉄道 1964年1月
やっと記憶にある沼尻の車体カラーとなった。
印刷物の色では満たされなかった感覚が、
PC上の微調整で初めて一致した時、強い感動になる。
今回、決め手になったのはカラーコードの指定であった。
(生成AIカラー化画像)
2026年5月8日金曜日
オリンパスペンで撮ったカラー画像が蘇る
2026年5月6日水曜日
夕暮れ時の尾道
「夕暮れ時の尾道」 尾道鉄道 1962年夏
山陽本線尾道駅のホームが帰宅客で賑わいはじめた夕方、駅の地下道を進むと、背後に山が迫る狭い一角に「尾道鉄道のりば」があり、小さな2面のホームに電車や客車が休んでいた。
(生成AIカラー化画像)
2026年5月3日日曜日
夏の松本駅前
「夏の松本駅前」松本電鉄 浅間線 1963年7月
夜行列車で松本に着いたのは、まだ夜明け前のことだった。静まり返った駅前に立ち、これから始まる一日を思いながら歩き出す。
沿線をあちこち撮り歩き、再び駅前に戻ってきた頃には、夏の陽はすっかり高く昇り、街はもう昼の顔になっていた。古びた木造電車は、駅前の端にある小さな乗り場で客を乗せると、ゆっくりと動き出し、急カーブを曲がってメイン通りを浅間温泉へ向かって陽ざしの中を走り去って行った。
(生成AIカラー化画像)
学校前の急カーブ
「学校前の急カーブ」松本電鉄 浅間線 1963年7月
砂利道の併用軌道を、埃を巻き上げながら木造電車がやって来る。
十分に速度を落とし、急カーブに差しかかると、
ギィギィと音を立てながら直角に曲がって、松本駅前へ向かっていった。
使ってきた生成AIは、ChatGPTの有料プランPlusです。
今回、私の記憶にある車体色で浅間線が定まってきたので、昭和30年代の沼尻、尾小屋、能登線などの車両カラーを更に詰めて行こうと考えています。
2026年4月29日水曜日
記憶にある色を求めて 尾小屋DC121
その一つ尾小屋DC121が赤系になる前の1962年に見た曖昧な色を、記憶とノートのメモを元にAIカラー化してみた。当時の色は紙媒体があったとしても仕上りにバラツキがあり正確な色の記録は無く、見た人各人の記憶にあるのみ。
FBに投稿したカラー化DC121を更に仕上げたのが今回です。
2026年4月26日日曜日
記憶にある色を求めて 北陸鉄道能登線
1962(昭和37)の北陸鉄道能登線も昭和30年代らしいカラーリングで、北陸鉄道の標準色(クリーム/朱色)になる以前は、こんな昭和30年代らしい色であった記憶がある。決して朱色の能登線ではなかった。
記憶の裏付けとなるカラー情報はネットや書物に見つからず、やっと見つけた訪問ノートのメモが裏付けとなった。窓下が北陸鉄道の朱色ではなく微妙なブルーであるのは間違いなかった。
窓下のブルーをもっと明るい水色に指定して再度AIカラー化をやってみた。
AIは昭和37年の能登線のカラーを知らない(ネットにカラー情報がない)ので何種類もブルーを試してみて、その中の1点を自分でトーン調整したのがこの1枚になった。ブルーをもう少し濃くしたいがAIは窓上クリームまで濃くしてしまうのでそれは無理であった。記憶に近い色の見本が無くて能登線も厄介な色ブルーであった。
2026年4月25日土曜日
記憶にある色を求めて 常総筑波鉄道筑波線
1962(昭37)年の筑波線のカラーリングは、正に昭和30年代らしい色だったが、奇妙な色ではなくオーソドックスなツートンだった。窓下が少し明るめの紺色で、決して派手さは無かった。
#9999さん、ご指摘ありがとうございます。
側面にある常総筑波の複雑な社章、AIでは読みとれず消しました。
撮影:1962.3.31
2026年4月20日月曜日
秩父鉄道 熊谷駅
秩父鉄道と言えば熊谷駅構内で見た美しい電機たち。あの頃の貨物輸送にこんな魅力的な電機が活躍していた。それと秩父鉄道のホームの先にいた東武熊谷線の美しい気動車。
2026年4月19日日曜日
秩父鉄道SL列車と、63年前のC58 363
先日、秩父鉄道SL(C58363)列車で熊谷から三峰口まで乗ってきました。
会社OB達との旅は、毎度飲み食い主体の飲み鉄であり、改めてSLと西武特急ラビューを撮りに行きたくなる絶好の季節であった。それにしても新緑の野山が美しかったこと。
2026年4月16日木曜日
2026年4月13日月曜日
Oナローの線路
マイクロエンジニアリングのコード83(レール高2.1mm)(実物30kg相当)のスパイク打込み。実物で30kg相当は沼尻の太いレールくらいになるが、模型にすると沼尻より細く見える。Oナローの地方私鉄ではレールはコード83と70で十分か? 林鉄やトロッコでは更に細いコード55や40のレールか使われるようだ。
2026年4月8日水曜日
記憶にある色を求めて 沼尻鉄道
モノクロ写真の生成AIによるカラー化。
AI任せでは色が出ない昭和30年代の難解色の代表が尾小屋DC121、浅間線、沼尻。
沼尻のカラー写真の事例がネットに多々あるが、その多くは模型のカラー写真。
書物の印刷でイメージに近いのが機芸出版社「軽便探訪」の表紙くらいであった。
青でもない緑でもない、何とも言葉で表現できないのが沼尻の色であった。
2026年4月4日土曜日
記憶にある色を求めて 松本電鉄浅間線
刻々と進歩している生成AIによるカラー化。
試しに63年前の松本駅前の浅間線を生成AIカラー化してみた。
街並みの色に不自然さはないが、
浅間線のカラーリングがどうしても再現できなかった(1枚目)。
昭和30年代の地方私鉄カラーリングは独特で、特に浅間線のくすんだカラーリングの再現は最難関の部類と思われる。数年前まで松本市内を走っていた浅間電車カラーのバスもイメージが違っていた。
街並みの色に比べて、浅間線の色の情報が如何にネットにないかである。
ヒギンスさんの写真集にあった1枚の写真がの色が唯一近いと思われるがネットにはない。
3枚目は色あいを文章で指定し様々作成したうちの1枚で、おぼろげな記憶に残る色にほぼ合う色合い。
2026年3月30日月曜日
井笠ホハ10と三度目の出会い
写真は1年前の3月30日に関水本線(関水埼玉工場)で撮影した元井笠ホハ10。
西武山口線仕様34号として見事に復元された。
井笠ホハ10の経歴
①井笠鉄道での現役時代
②井笠鉄道廃線後、西武山口線で使用され、
その後、西武遊園地でレストラン列車として使用される
③関水本線で山口線仕様34号(元井笠ホハ10)に復元
山口線仕様34号の復元で井笠ホハ10と三度目の出会いであった。
2026年2月26日木曜日
雨の耶馬渓
大分交通 耶馬渓線 1967年春
耶馬渓を流れる山国川は、雨が降るとすぐに増水する。その川沿いを、耶馬渓線が走っていた。羅漢寺駅周辺は観光地として知られた土地だった。だがあの日は雨が楽しさを奪っていた。
あれから40年余りが過ぎた頃、やっと苦労が報われる時代がやって来た。あの時に撮り歩いた蓄積は無駄ではなかった。

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