「曇天の加賀平野」
加賀温泉郷が衰退する、ずっと前、動橋から、温泉行きの電車が静かに走っていた。
案内文章
2026年7月2日木曜日
曇天の加賀平野
2026年6月30日火曜日
今、ブログは 2
昔から鉄道趣味の世界では、
記録性、資料性、情報量、が価値とされてきた。
情報の発表の場は鉄道誌くらいしか無かった時代。
↓
情報化社会になってからは、
写真を並べ記録を残す「鉄道情報系」を
発信する場としてネットがあった。
編成写真、車両アップ、駅舎、旅、イベントなど
ネットでブログは非常に相性良いスタイルだった。
私もブログで60年前の記録を続けて来ました。
SNSの時代でも鉄道情報系ブログは衰えていない?
↓
でも今変わって来た
鉄道の記録、資料・情報などの解説ではなく
鉄道を通して見た人の暮らし、季節、風景、何を思うか
などを撮って、語る。
ネットにそんな媒体が10年前からスタートしていた。
そんな新しい媒体の場でも鉄道と言えば、
情報系の鉄道ブログ同然のスタイルが多いようで、
新しい媒体と「昔からある鉄道ジャンルの慣習」
との間にギップがあるようです。
2026年6月25日木曜日
今、ブログは 1
今の世の中、ブログは殆ど消滅かと思っていたら
そうでもなさそう。
リンクさせて頂いているブログ以外、
私はまず見ることがなかったブログ。
今も昔も、鉄道ブログの主体は「今の鉄道情報」
のような気がする。
そして、誰かが言っていたように写真は
益々車両写真に向かっているのか?
私にとってはほとんど無縁の「今の鉄道情報」。

スプリングポイントの向こうに拡がる滝駅。
生い茂った草に埋もれてしまいそうな線路。
草むした構内で遊んでいる子供たち。
真っ白に乾いた道路を日傘を差して歩くご婦人。
道路沿いの傾いた電柱に裸電球の街灯が一つ。
傾いた線路通行禁止の警告板。
北陸鉄道 能登線 昭和37年夏
2026年6月23日火曜日
月山と三山電車
機芸出版社から出版した「地方私鉄 失われた情景」の三山線でモノクロにして使った一枚です。
このネガカラー画像は不鮮明で色がよく分からない画像。AIでカラー鮮明化してみると白い月山がハッキリしてきた。ボケた果樹園の花のカタチも色もよく分かる。
モノクロ画像→カラー化の場合と違って、AIが勝手に造形することはなく、元のカラー画像鮮明化だけなのが安心できる。
山形交通 三山線
2026年6月22日月曜日
2026年6月17日水曜日
2026年6月15日月曜日
東武のネルソン64号
2026年6月13日土曜日
会津田島の秋
「会津田島の秋」
秋の休日、紅葉を求めて会津線のC11をよく撮りに出掛けたことがある。
当時のカラー写真は思うような発色にならず、そのまま長く眠っていた。
今回色調を整えてみると、鮮明なC11と紅葉、そして秋の空が現れた。
あの日の会津田島が、少しだけ戻って来た気がした。
2026年6月12日金曜日
矢掛線の雲と民家
この日の井笠鉄道は青空に浮かぶ白い雲と、沿線の民家が印象的であった。北川から矢掛へ向かう列車を撮ったこの1枚。
これまでのカラー画像では空と遠方に見える民家が生きて来なかった。今回、AIで鮮明化したあと、Adobeで様々トーンを変えて仕上げてみると、作り物の白い雲ではなく元画像にあった雲のカタチや、民家などが鮮明に見えてきた。
2026年6月10日水曜日
早春の陽光
草木が青々とした新芽を出し始めた両備地方に、やわらかな春の陽光が降りそそいでいた。この地方独特の家々の間を、小さな軽便鉄道が静かに通り過ぎてゆく。
暖かな陽気に包まれた午後、赤い気動車に牽かれた緑とクリームの客車は、この土地の日常の風景の一部だった。
色の調子が不満足だったカラー画像をAIで鮮明化してみると、死んだカラー画像が生きて来る。元画像がカラーなので車両のカラーはよくある暴走が無くて安心できる。ジオラマのような色あいから、渋い色合いまで何種類か生成画像を出して、その中の一枚を好みに仕上げてみた。
井笠鉄道 昭和42年3月
(AIによるカラー画像の鮮明化)
2026年6月7日日曜日
真夏の淡路 宇山駅
「真夏の淡路 宇山駅」
洲本駅を発車した電車は民家の裏手をかすめるように走り、洲本川を渡り左へカーブするとほどなく宇山駅に到着した。
以前、モノクロで取上げた宇山駅をカラーにしてみると、真夏の空に浮かぶ白い雲、乾いた駅前広場の暑さ、ゆっくり流れていた島の時間などが蘇って来る。夏の陽ざしも今ほど強くなかったあの夏の日はもうやって来ない。
2026年6月3日水曜日
里山風景
軽便鉄道の築堤の下に、一軒の民家がひっそりと建っている。庭先には洗濯物が干され、暖かい春の日差しを浴びていた。
当時、浜松郊外に自然豊かな里山があった。やがて各地で繰り広げられたのと同様に、丘陵は削られ、広大な宅地へと姿を変えていった。昭和30年代は、都市近郊にそんな里山がまだ息づいていた最後の時代だったかも知れない。
昭和30年代のをカラーにしてみると、写真を見ているというより、あの時代の空気の中へ戻って行くような感覚になる。
2026年5月30日土曜日
2月終わりの庄内砂丘
丘に登り松林の向うに穏やかに開けた日本海を眺めると、早朝から撮り歩いて来た岩場が続く暗い日本海とは違って、優しい雰囲気を感じる海岸線だった。
ハーフ判モノクロ画像をカラーにしてみると、海辺の湿度感、砂丘、二月の終わり、小さな電車、曇天の海などの色が効いて、空腹を忘れ丘に登ったあの時のことがより鮮明になって来る。
2026年5月29日金曜日
築館線の残照
鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。
そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。
この写真は仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の感覚だった。ところが後になって見ると、妙に心に残る。
2026年5月27日水曜日
「ディスカバード・ジャパン」 鉄道沿線に見るこの国の姿、今昔。
車で全国を巡りながら、十年を費やしてまとめ上げた「日本の今昔」。それは単なる鉄道写真集ではなく、この半世紀で地方がどれほど衰退し、風景が変わってしまったかを物語る記録であった。
一つの時代を見つめ続け、なお撮り続ける。その団塊世代の気力と執念に、ただただ敬服するばかりである。あの時の現場で何を想い、半世紀後の現場で何を想ったか、本を開くと惹き込まれる写真+エッセイの本。
2026年5月25日月曜日
京都市電 京大吉田寮
「京大吉田寮と市電」京都市電 1969年正月
記憶から消え行くあの時代の空気感。
電停近衛通の向こうに見える吉田寮。写真は学生寮の問題に端を発し京大全学的紛争へと発展する直前だった。この時に吉田寮生で2回生だった方からのコメントでそれが分かった。
これから大変な時代を迎える昭和44(1969)年正月の静かな風景であった。
先日のコメントから。
2026年5月20日水曜日
2026年5月19日火曜日
記憶にある色を求めて 能登線
1962年夏、何がいるのか行ってみないと分らなかった能登線。分かっていたのは時刻表の情報だけ。能登線のカラーリングの根拠はノートにあったメモによる。福島交通軌道線、沼尻と同様に窓下が微妙な青緑カラーで、正に昭和30年代らしいカラーリングであった。この後すぐに北陸鉄道の赤系カラーに変更され、能登線と言えば北陸鉄道の赤系カラーが有名になった。
(生成AIカラー化画像)
→何とか完成し画像差替え 2026.6.25
2026年5月16日土曜日
記憶にある色を求めて 法勝寺電鉄
屋根の色は記憶になくヒギンズさん写真集を参考にした。ChatGPT Plusが数種類出力した画像の一つを基準とし、記憶にある色に近いイメージになるまで調整したものの、青みが未だ完成していない。
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