案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年7月2日木曜日

曇天の加賀平野

「曇天の加賀平野」

加賀温泉郷が衰退する、ずっと前、動橋から、温泉行きの電車が静かに走っていた。

黒く垂れ込めた黒い雲は、今にも雨か雪を降らせそう。暗い北陸の冬空の中で、遠い山並みにわずかに光がさす。

かつて、こんな鉄道が走っていたことは、地元でも忘れ去られてしまったかも知れない。



新動橋 - 庄 1964.12.29


  北陸鉄道 加南線 1964年12月
  (AIカラー化画像) 

2026年6月30日火曜日

今、ブログは 2

昔から鉄道趣味の世界では、
記録性、資料性、情報量、が価値とされてきた。
情報の発表の場は鉄道誌くらいしか無かった時代。
   ↓

情報化社会になってからは、
写真を並べ記録を残す「鉄道情報系」を
発信する場としてネットがあった。

編成写真、車両アップ、駅舎、旅、イベントなど

ネットでブログは非常に相性良いスタイルだった。
私もブログで60年前の記録を続けて来ました。
SNSの時代でも鉄道情報系ブログは衰えていない?

   ↓
でも今変わって来た

鉄道の記録、資料・情報などの解説ではなく
鉄道を通して見た人の暮らし、季節、風景、何を思うか
などを撮って、語る。
ネットにそんな媒体が10年前からスタートしていた。


そんな新しい媒体の場でも鉄道と言えば、
情報系の鉄道ブログ同然のスタイルが多いようで、
新しい媒体と「昔からある鉄道ジャンルの慣習」
との間にギップがあるようです。



2026年6月25日木曜日

今、ブログは 1

 今の世の中、ブログは殆ど消滅かと思っていたら

そうでもなさそう。

リンクさせて頂いているブログ以外、

私はまず見ることがなかったブログ。

今も昔も、鉄道ブログの主体は「今の鉄道情報」

のような気がする。

そして、誰かが言っていたように写真は

益々車両写真に向かっているのか?

私にとってはほとんど無縁の「今の鉄道情報」。




より鮮明に出来るようになったモノクロ画像。

スプリングポイントの向こうに拡がる滝駅。

生い茂った草に埋もれてしまいそうな線路。

草むした構内で遊んでいる子供たち。

真っ白に乾いた道路を日傘を差して歩くご婦人。

道路沿いの傾いた電柱に裸電球の街灯が一つ。

傾いた線路通行禁止の警告板。

駅周辺に昭和30年代の民家。




昭和30年代独特の色の記録.


北陸鉄道 能登線  昭和37年夏

2026年6月23日火曜日

月山と三山電車

機芸出版社から出版した「地方私鉄 失われた情景」の三山線でモノクロにして使った一枚です。
このネガカラー画像は不鮮明で色がよく分からない画像。AIでカラー鮮明化してみると白い月山がハッキリしてきた。ボケた果樹園の花のカタチも色もよく分かる。

モノクロ画像→カラー化の場合と違って、AIが勝手に造形することはなく、元のカラー画像鮮明化だけなのが安心できる。


三山線.羽前高松-新田 1971.5.6

左手が羽前高松方面で電車の背後に月山が入るのは、この羽前高松-新田間しかない。



 この位置で撮ると背後に朝日連峰が入る.1971.5.3

山形交通 三山線
(AIによるカラー画像の鮮明化)

2026年6月22日月曜日

余韻を追って

「余韻を追って」
情景、旅、音楽、人などに余韻が残るものがある。 
今追い続けているのは過去の記録ではなく、
あの時代が残した余韻である。



桃の花が咲く頃、小さな電車が暮らしを結んでいた。



山形交通三山線 1971.5.3
(AIによるカラー画像の鮮明化)

新潟交通 昭和の街並み(再)

「新潟交通 昭和の街並み」をアップしたのが2010年8月4日と2016年7月22日。
今回で3回目となります。今回はAIでカラー画像の鮮明化をやってみました。


県庁前-東関屋 1968.8.17
雨に濡れた商店街を今見ると、
街の色と電車の色がその時代の風景として調和していた。

県庁前-東関屋 1968.8.17


雨が上がった県庁前駅 1968.8.18
1985年 新潟県庁移転。
1992年 県庁前~東古谷間(併用軌道区間)が廃止で消えた駅舎。

新潟交通
(AIによるカラー画像の鮮明化)

2026年6月17日水曜日

東武のネルソ63号

次は中千住のネルソン63号の車両写真です。
Adobeで鮮明化してみました。

 中千住   撮影:1963.3.25

ネルソン1900年製造  前所有者 国鉄6252   東武入線1942年  廃車1963年




2026年6月15日月曜日

東武のネルソン64号

久しぶりに形式写真と言うか車両写真をFBに投稿してみました。ネルソンは過去に投稿済みですが、新たに調整した画像です。すると多くのコメントを戴き、後ろの有蓋貨車が三岐の貨車らしいということで、こちらに貨車を部分アップしてみました。
三岐の貨車に何を積んで東武からどこへ向かうのか、あるいは外部から東武へ何が運ばれたのか。

中千住  撮影:1963.3.25

東武のネルソン64号
このネルソンの車両写真は初めて投稿です。


ネルソン64号が貨物を牽いて業平橋へ向かう。



ネルソンの後に写った注目の貨車。

2026年6月13日土曜日

会津田島の秋

 「会津田島の秋」  

秋の休日、紅葉を求めて会津線のC11をよく撮りに出掛けたことがある。

当時のカラー写真は思うような発色にならず、そのまま長く眠っていた。

今回色調を整えてみると、鮮明なC11と紅葉、そして秋の空が現れた。

あの日の会津田島が、少しだけ戻って来た気がした。




会津田島  1971.11.3

国鉄会津線 昭和46年11月
(AIによるカラー画像の鮮明化)

2026年6月12日金曜日

矢掛線の雲と民家

「矢掛線の雲と民家」

この日の井笠鉄道は青空に浮かぶ白い雲と、沿線の民家が印象的であった。北川から矢掛へ向かう列車を撮ったこの1枚。

これまでのカラー画像では空と遠方に見える民家が生きて来なかった。今回、AIで鮮明化したあと、Adobeで様々トーンを変えて仕上げてみると、作り物の白い雲ではなく元画像にあった雲のカタチや、民家などが鮮明に見えてきた。



矢掛線の雲と民家。 北川 1967.3.8


井笠鉄道 1967年春
(AIによるカラー画像の鮮明化)

2026年6月10日水曜日

早春の陽光

「早春の陽光」

草木が青々とした新芽を出し始めた両備地方に、やわらかな春の陽光が降りそそいでいた。この地方独特の家々の間を、小さな軽便鉄道が静かに通り過ぎてゆく。
暖かな陽気に包まれた午後、赤い気動車に牽かれた緑とクリームの客車は、この土地の日常の風景の一部だった。


色の調子が不満足だったカラー画像をAIで鮮明化してみると、死んだカラー画像が生きて来る。元画像がカラーなので車両のカラーはよくある暴走が無くて安心できる。ジオラマのような色あいから、渋い色合いまで何種類か生成画像を出して、その中の一枚を好みに仕上げてみた。



薬師 - 北川 1967.3.8



北川駅を発車し井原へ向かう。
井原駅では矢掛線のホジが発車を待っている。


井笠鉄道  昭和42年3月
(AIによるカラー画像の鮮明化)

2026年6月7日日曜日

真夏の淡路 宇山駅

「真夏の淡路 宇山駅」
洲本駅を発車した電車は民家の裏手をかすめるように走り、洲本川を渡り左へカーブするとほどなく宇山駅に到着した。

駅の待合室の壁には、島まつり案内や、「ご利用のみなさんへ」迫りくる廃線に関する紙面が貼られていた。洲本行のホームでは子ども連れの家族が電車を待っている。きっと洲本の島まつりへ向かうのだろう。笑い声と東京にはいない喧しいセミの鳴き声が混ざり合い、空気は夏一色に染まっていた。
以前、モノクロで取上げた宇山駅をカラーにしてみると、真夏の空に浮かぶ白い雲、乾いた駅前広場の暑さ、ゆっくり流れていた島の時間などが蘇って来る。夏の陽ざしも今ほど強くなかったあの夏の日はもうやって来ない。



淡路交通 宇山駅 1965.8.2

淡路交通 1965年夏 
(AIカラー化画像)

2026年6月3日水曜日

里山風景

「里山風景」

軽便鉄道の築堤の下に、一軒の民家がひっそりと建っている。庭先には洗濯物が干され、暖かい春の日差しを浴びていた。

当時、浜松郊外に自然豊かな里山があった。やがて各地で繰り広げられたのと同様に、丘陵は削られ、広大な宅地へと姿を変えていった。昭和30年代は、都市近郊にそんな里山がまだ息づいていた最後の時代だったかも知れない。

昭和30年代のをカラーにしてみると、写真を見ているというより、あの時代の空気の中へ戻って行くような感覚になる。


祝田駅から谷駅へ向かって三方ヶ原台地を上って行く列車。
その車窓に自然豊かな里山があった。1964.3.23


遠州鉄道 奥山線  1964年春
(AIカラー化画像

2026年5月30日土曜日

2月終わりの庄内砂丘

「2月終わりの庄内砂丘」

丘に登り松林の向うに穏やかに開けた日本海を眺めると、早朝から撮り歩いて来た岩場が続く暗い日本海とは違って、優しい雰囲気を感じる海岸線だった。

ハーフ判モノクロ画像をカラーにしてみると、海辺の湿度感、砂丘、二月の終わり、小さな電車、曇天の海などの色が効いて、空腹を忘れ丘に登ったあの時のことがより鮮明になって来る。


庄内砂丘  1966.2.28


昔のネガに写った七窪駅を、今カラーにしてみると、庄内砂丘の曇天、潮風に揺れる防風林、枯草、木造駅舎の風化した壁、かすかに感じる生活感。 そんな細部が刻まれた現役の七窪駅が、より鮮明になって来る。


砂丘の中にあったひと気のない七窪駅。


庄内交通 湯野浜線 1966年
(AIカラー化画像)

2026年5月29日金曜日

築館線の残照

「築館線の残照」仙北鉄道 1964年夏

鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。
そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。

この写真は仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の感覚だった。ところが後になって見ると、妙に心に残る。

この線路の向こうにあった、かつての暮らしの気配。駅に集った人々の声。行き交う小さな2軸ガソリンカーのエンジン音。 それらが消えて久しいのに、ここには「何か」が残っている。鉄道が消えた後の線路の風景は、私たちに鉄道が活躍していた時代の光景を想像させてくれる。



瀬峰から延びる1950年に消えた築館線のナロー廃線跡。
撮影:1964.8.4

 過去に投稿した「鉄道が消えた跡の深さ」をカラー化したものの、やはりモノクロの方が似合うようで、ハーフ判モノクロ画像の鮮明化だけをAIでやってみました。




2026年5月27日水曜日

「ディスカバード・ジャパン」 鉄道沿線に見るこの国の姿、今昔。

著者 大木茂さんが十年掛けていたのはこの本だった。16歳から日本各地の鉄道を撮り歩き、十年かけて記録した風景。その半世紀後、再び同じ場所に立ち、失われた線路や変わり果てた街並みを十年撮り続けた。

車で全国を巡りながら、十年を費やしてまとめ上げた「日本の今昔」。それは単なる鉄道写真集ではなく、この半世紀で地方がどれほど衰退し、風景が変わってしまったかを物語る記録であった。

一つの時代を見つめ続け、なお撮り続ける。その団塊世代の気力と執念に、ただただ敬服するばかりである。あの時の現場で何を想い、半世紀後の現場で何を想ったか、本を開くと惹き込まれる写真+エッセイの本。




2026年5月25日月曜日

京都市電 京大吉田寮

「京大吉田寮と市電」京都市電 1969年正月

記憶から消え行くあの時代の空気感。
電停近衛通の向こうに見える吉田寮。写真は学生寮の問題に端を発し京大全学的紛争へと発展する直前だった。この時に吉田寮生で2回生だった方からのコメントでそれが分かった。
これから大変な時代を迎える昭和44(1969)年正月の静かな風景であった。


背後に京大吉田寮の建物.電停 近衛通.1969.1.2

先日のコメントから。
1969年1月2日、私は吉田寮生で2回生でした。この年は学生部封鎖から大学紛争に入り、今では考えられない時代でした。寮費は月100円、寮食堂は生協食堂より安くて美味しく恵まれていました。下宿代は1畳が1000円の時代でしたので、奨学金とバイト代で月1万円あれば何とか過ごせました。当時の写真は何もなく、アップして下さる市電の写真で昔を思い出しています。

(AIによるカラー画像の鮮明化)

2026年5月20日水曜日

雪の湯野町

「雪の湯野町」福島交通軌道線 1966年12月

飯坂温泉の街外れ湯野町を発車した電車は、
雪が残る家並みの間の専用軌道を走って、
伊達駅前へ向かって行った。
(不鮮明なハーフ判カラー画像をAIで鮮明化)


福島交通軌道線の難解なツートンカラーは私の記憶にはない色で、様々な情報からこの写真のツートンカラー(特に窓下の青緑)に落ち着きそう。




2026年5月19日火曜日

記憶にある色を求めて 能登線

北陸鉄道 能登線  1962年夏

1962年夏、何がいるのか行ってみないと分らなかった能登線。分かっていたのは時刻表の情報だけ。能登線のカラーリングの根拠はノートにあったメモによる。福島交通軌道線、沼尻と同様に窓下が微妙な青緑カラーで、正に昭和30年代らしいカラーリングであった。この後すぐに北陸鉄道の赤系カラーに変更され、能登線と言えば北陸鉄道の赤系カラーが有名になった。
(生成AIカラー化画像)



滝駅を発車した気動車は民家の間を抜けると前方に日本海が開ける。
滝 - 柴垣

実車を見た時の感想は、窓回りが灰色で白っぽい/窓下が緑がかった水色で緑に近かった。この緑がかった水色が特徴で、彩度と色温度の調整で様々変化する青~緑の色合い。能登線の昭和30年代らしい難解のカラーは未だ完成していない
 →何とか完成し画像差替え 2026.6.25

2026年5月16日土曜日

記憶にある色を求めて 法勝寺電鉄

日の丸自動車 法勝寺電鉄 1962年夏

1962年夏、国鉄時刻表にあった「日の丸自動車・法勝寺電鉄」を頼りに山陰本線米子駅に降り、米子駅の地下道をくぐり反対側に出ると、「日の丸自動車㈱電車部米子市駅」の看板を掲げた駅があり、木造電車が朝一番の発車を待っていた。朝日を浴びたツートンカラーが強烈に記憶に残り、あの時の記憶に近いのがこんな色であつた。
(生成AIカラー化画像)

屋根の色は記憶になくヒギンズさん写真集を参考にした。ChatGPT Plusが数種類出力した画像の一つを基準とし、記憶にある色に近いイメージになるまで調整したものの、青みが未だ完成していない。

朝日を浴びたツートンカラーが強烈な印象であった。
この色の木造電車(元池上電鉄 日車 大正11年製)はデハ201と203がいて、写真はデハ203+フ51。