案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年5月20日月曜日

東武のSL

東武スペーシアXとSL大樹に乗る旅。


浅草駅のスペーシアX

定員4人のコンパートメント


下今市でSL大樹に乗車する前にSL展示館をはじめて見学してみました。

展示館に展示されたピーコック58とC112の銘板を見て、
10年前頃に弊ブログに掲載した現役ピーコック58と、廃車C112を思い出した。

業平橋で活躍するピーコック58 撮影:田辺多知夫氏 1963.09.25

東武が自社発注したC112  業平橋 1963.11.24


SL大樹とスペーシアX.鬼怒川温泉 2024.5.19


鬼怒川温泉駅で見たSL大樹とギャラリー。
今の時代のSLショーは活況で嬉しいが、かつてのローカル線ターンテーブル風景とは全く違う世界。これが当たり前の時代だが昔のような写欲は湧いてこない。


2024年5月7日火曜日

表紙 有田鉄道のこと

表紙の情景は有田鉄道で全線5.8kmの小さな路線。

国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏


藤並を発車したキハ210は有田川沿いのミカン畑の中を15分ほど走ると有田川上流にある終着駅金屋口に到着した。駅の脇には木材が雑然と積まれ殺伐とした風景であった。1964.7.9


キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ.
有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている.


こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.


殺伐とした終着駅金屋口の全景.


有田川が流れる金屋町の玄関 金屋口駅.
駅前から見ると立派な
終着駅であった。