案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年12月17日土曜日

磐越西線 川桁駅

その昔、国鉄磐越西線の川桁駅に下車し駅前に出ると沼尻鉄道の川桁駅があり広い構内と硫黄を国鉄貨車に積替する貨物ホームなどがあり、駅前には旅館や集落もあった。

先日、磐越西線各停に乗り日が暮れた川桁駅に停まると駅は無人駅で、その先の駅前は真っ暗でひと気もなし。こんな寂しい風景は今やどこの駅でも同じようだが、かつての川桁駅を思い浮かべるとあまりの変わりように悲しくなった。

撮影:1964年1月


川桁駅を行く磐越西線のD50蒸機列車がよくやって来た。


川桁駅に硫黄積み込の貨物線があった。


沼尻鉄道が運んできた硫黄の積替えホーム。


沼尻鉄道の駅構内。


看板「沼尻鉄道のりば」掲げた川桁駅では列車が発車待ちしていて、待合室はスキーヤーで混み合っている。表の街路灯の広告に「スキーと温泉は沼尻鉄道で」と。


磐梯山を背に川桁駅を発車する郡山行各停列車。


磐越西線の各停列車は蒸機が客車を7両も牽いていた。

4 件のコメント:

jha141 さんのコメント...

川桁は懐かしい場所です東北縦貫道が出来る頃 良く行きました中山峠でチェーンを嵌め はじめは雪が珍しく嬉しかったですが チェーンの脱着が面倒で参りました 今は雪の降り方が変わったそうです 機関車の走る姿は殆ど記憶なく貴重な写真が見れてうれしいです。

katsu さんのコメント...

jha141さん
この時代の川桁を知る人は今やかなりの年配者になってしまいました。
軽便鉄道ファンにとっては川桁から出ていた沼尻鉄道は憧れの地だと思います。
沼尻鉄道を知らない世代の軽便ファンが今も情景を求めてジオラマを製作しています。

esehoku さんのコメント...

川桁の駅前には旅館や集落…
先日、旧長野原線の太子駅跡を訪ねたのですが、全く同じだと思いました。
駅は復元されて資料館になっていて、地元の小学生が当時の事を調べて模造紙に(いかにも学校の課題っぽくて微笑ましいのですが)イラスト化してあり、それによれば駅前にパチンコ屋など一通りの遊興施設もあり、賑わっていたようです。
街の産業が賑わいを生み、その中心風景に必ず駅があったという点で共通するものがあったのでしょうか。
寂しくなった現在の駅から往時を偲ぶと、懐かしさや寂しさが混ざった不思議な気持ちになる事があります。

katsu さんのコメント...

esehoku さん
ごめんなさい私の文章の表現がまずくて。
夜の川桁の駅前風景は真っ暗闇で昔の集落などは消えてしまったかのように思えたのですが、
Googleで空から見ると集落は今もしっかりありました。
駅前風景は沼尻鉄道の構内施設がそっくり消えてしまった寂しさだけかも知れません。

旧長野原線の太子駅跡のようにかつて賑わった街と駅が消滅してしまったところは
全国至るところにありますね。
それと違って、川桁の場合は無人化されたJR駅と消えた沼尻鉄道の寂しさだけかも知れません。