案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年7月29日木曜日

真夏2

 58年前に撮ったネガは今も健在です。
エプソンのスキャナGTX-970も幸い健在です。
果てしないネット環境の進化で画質高めるスキャニングに終わりがない。



真夏の松本駅前。1963.7.20

2 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは、鉄道車両だけでなくて周りの街並みや人、自動車なんかも写りこむ写真が多いので、いつも更新を楽しみにしています。
左手に移っているスクーターは富士重工(スバル)のものですが、私は現在も乗って楽しんでいます。

戦後中島飛行機(現在のスバル)の工場に大量に航空爆撃機銀河の後輪が残っていて、これを利用して生まれたのが富士重工のスクーター、銀河の設計をした人が後に0系新幹線のノーズを設計したので銀河と0系新幹線はよく似ているという逸話が残っています。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
ありがとうございます。
この画像はヨコ2048ピクセルでアップしていますので100%表示にして見るといろいろと分かります。

この時代のスクーターを今も乗っておられるとは驚きです。
今では見られないスクーターですね。
我家にもスクーターがありましたがすぐに軽自動車に変わりました。
銀河の後輪を利用して生まれたのが愉快ですね。
美しい銀河の機体をソリッドモデルで作ったことがあります。