すっかり整備されて近代的になった観光都市金沢の駅前。その地下に今でも北鉄金沢駅があり、何の変哲もない地方私鉄路線が走っている。
当時の北鉄金沢駅は地上駅で、そこからひなびた電車が行き来していて、沿線風景もいかにもその時代らしい味わい深い風景であった。金沢に限らず日本中至るところが綺麗になればなるほど、ひと昔前との落差に驚きが大きくなってくる。
撮影:1964.12.31
金沢駅前
地上駅だった北鉄金沢駅。周辺には古い建物が並び、改札口の先に今と違ってシンプルな国鉄金沢駅前があった。
ダブルルーフのモハ3101と駅周辺の建物。
金沢の裏手を国鉄との貨物連絡線が延びていて、貨物用の2軸電動車が使われていた。
金沢駅前も裏はこんな風景であった。
北陸本線(後方)をアンダークロスして一つ目の七ッ屋に到着する。
モハ3102+クハ1651のいかにも北鉄らしいゲテモノ編成。
味わい深い七ッ屋の駅。ここに車庫があった。
線路はしばらく浅野川に沿っていて、最も浅野川の土手が線路に接近したところでトラックが線路に転落し北鉄金沢行の電車が立ち往生していた。乗客は地上に飛び降りて吊橋駅へ向かった。
この日は大晦日。正月の準備で金沢市内に買い物に行く乗客だろうか。
沿線は一面に田んぼが拡がっていた金沢近郊。
この日は大晦日。正月の準備で金沢市内に買い物に行く乗客だろうか。
沿線は一面に田んぼが拡がっていた金沢近郊。
乗客は吊橋(三ッ屋)で待つ電車に乗って北鉄金沢へ向かった。
12 件のコメント:
この浅ノ川線の終点、内灘町に実家のある者です。写真当時昭和39年の3年後、今の実家に引っ越しました。それまで金沢市に住んでいたので、「こんな田舎に」と私と姉、兄は両親に文句を言ったものです。そのうち古い電車も、確か東京の井の頭線で使っていた車輛にとって代わりました。今も浅ノ川線は、近辺の住人の貴重な足となっています。懐かしくて、コメントさせて頂きました。
黒ユリさん
早速のコメントありがとうございました。
以前アップしたことがある浅野川線ですが、今回は未使用画像を混ぜてアップしています。
次回は内灘です。
クルマ社会になって多くの路線が消えたなか、金沢郊外の住民の足となって活躍し続けてきた
浅野川線は確かに貴重な路線ですね。
金沢駅前の地下駅で元井の頭線の電車を見た時は渋谷のようで驚きました。
沿線住民にとって浅野川線の近代化は快適・安全で愛着もひとしおでしょう。
北鉄金沢のこのころの姿は、父が写真に納めています。裏町っぽい周囲の家並みと貨物線のヘロへロ具合が痺れます。今の地下駅は野町方面に延長できる様に造られてるとか~
Cedarさん
このところ、昔アップした路線の落穂拾いばかりでお恥ずかしいです。
浅野川線をアップしたのが7年前でした。
この頃のブログは画像が小さくて不満だらけ、全て作り直したいくらいです。
北鉄金沢の地下駅は将来の地下鉄を考えいるのでしょうか。
地図で見ると北鉄金沢駅から野町方面にちょっとだけ線路が延びていますね。
校外電車と市内電車が共存する町に、京津線等のインターアーバンが
出来なかったのは残念なところですね。
ねこあたまさん
金沢が目指すのはインターアーバンより、富山や福井のように郊外からクルマではなく
鉄道を利用したコンパクトシティの社会ではないでしょうか。
富山、福井に続き浅野川線が注目される日がくるかも。
katsuさんが仰るように、コンパクトシティを目指しているならまだいいです。でもそんな話は、少なくとも私は聞いたことがありません。
私がまだ地元に居た昭和40,50年代は、北鉄バスも、もっと便利だった気がします。昨今金沢市は観光都市を目指すという方針で、市内は観光客向けの循環バスみたいなものは増えましたが、郊外に向かう路線バスは、本数も減って不便になりました。
自家用車が増えるとバスが減る、バスが減ったら「足」を持たない者が苦労する。能登線がなくなって苦労している人と同じです。
北陸新幹線ができて、北陸が潤う面もありますが、能登の限界集落など、ちぐはぐ、解決すべき問題は少なくありません。
画像8枚目、ひょっとしたら不謹慎かもしれませんが、随分と貴重なタイミングに出くわしたものですね…。
モハ3571はこの時点で既に、正面3枚の窓はHゴム改造済みだったのですね。
この後昭和43年頃?に加南線に転属していて、晩年になってようやく、元遠鉄コンビのクハ1603とペアを組み、編成美を取り戻しましたが、確か最後まで貫通扉は片側だけでした。
非貫通側の正面はなんとも「北鉄チック」な表情です。晩年、シル・ヘッダーまで無くなってのっぺりした顔になってしまったモハ3201よりはマシでしょうか…?
黒ユリさんのコメントは辛辣ですが、本当にその通りだと思います。
観光で賑わうのも良いのでしょうが、地元の不便さがますます加速しているように感じたのは、小松市近郊や加賀市近郊を廻った時にも感じました。
これなら自分の車で廻るか、レンタカーを使う方が遥かに便利で、公共交通機関に「足」を期待できないのは本当に困ります。
ちょっと話が逸れますが、北陸新幹線ができても、ウチの辺りから加賀温泉駅までは、かつての北越急行経由のはくたか利用と、対して到着時分が変わりません(詳細は省きますが、1時間遅く出られるだけです)。
金沢から先への接続が悪いためですが、これでは何のための速達化かと思ってしまいます。
東京と金沢を観光目的で往復する人ばかりではないはずなんですけどね。
黒ユリさん
地元金沢ではない何も知らない部外者が、趣味の世界で勝手なことを言ってしまい大変失礼しました。
足を持たない者でも苦労しない社会へ、金沢でも何らかの計画が考えられていると思っていましたが、
地元の実感では昔よりもかえって不便になった、でしたか。
高齢化社会でこれから先が不安になります。
esehokuさん
北陸鉄道の記事は人気があり、今回の浅野川線はブログアクセス数が新記録でした。
やはり金沢に接している路線がとりわけ人気で、
金沢の街や郊外の魅力が私鉄路線と上手くマッチするせいかも知れません。
今の金沢の観光ブームとは違った、50年前の金沢の魅力は探せばいくらでもあるのでしょうね。
北陸新幹線開業で便利さと引き替えに失ってしまうものも多いことでしょう。
8枚目の線路上で乗客を降ろしているのは凄い場面に遭遇されたものだと驚くばかりですが、ここは三ツ屋を出てすぐの場所で、現在は外環状道路の巨大な橋脚が立っており、もうじき線路と川をひと跨ぎにする橋桁がかかって風景が激変します。
9枚目の吊橋駅も貴重な記録ですが、離合駅化の際に100メートルほど内灘寄りに移設されており、左に写っている神社のすぐ横で下り線が分岐するようになりました。
代打・山本さん
Googleで上空から確認してみました。
ちょうど電車が土手の下に停車しているあたりの畑の中に工事中の橋脚が確認できました。
寂しげな吊橋駅も今ではこんな立派な駅になったのですね。
電車も沿線風景も近代化が進み激変ですね。
いつも思うことは道路がそんなに必要なのかです。
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