LUNさんからのコメントに、この時代の南武線の写真もあったらよろしくお願いします!
と、ありましたので昭和38年の南武線をアップしてみます。
といっても南武線、私はこげ茶色の旧型国電を全く撮ってなく、南武線といえば登戸の蒸機や浜川崎の1枚くらいでした。
2012年6月の記事→
小田急向ヶ丘遊園駅と南武線連絡線。
南武線との乗換駅 小田急の登戸駅。下に南武線の架線が見える。1963年2月
こんな長閑な多摩川の川辺も今では一変していることでしょう。
南武線のC12。 登戸~宿河原
登戸から川崎方面へ向かう貨物。この頃、隣の向ヶ丘遊園駅前からナローのおとぎ列車が走っていた。
南武線浜川崎駅。ここから鶴見線に乗って川崎・鶴見地区の専用線蒸機探索に向かった。
工場専用線の蒸機が至るところで動いていた川崎・鶴見地区。日本鋼管
5 件のコメント:
すごい写真ありがとうございます。
登戸の多摩川堤を毎週ジョギングしてます。
もう全く面影はないですね。
登戸駅でC12が入換しているなんて
信じられません。
この当時であれば、小田急との連絡線とか
宿河原から多摩川への砂利専用線とか
健在だったのでは?
にぶろくさん
この頃、もう使われていなかったと思われる
小田急との連絡線が残っていました。
2012年アップした記事のリンクを貼っておきました。
おおっ、写真を撮っておられたのですね。
目の保養になりました。
Katsuさま
かつて、電関人幼少の頃北九州工業地帯はその排煙で薄墨色に空は霞み、
若戸大橋の朱は黒く沈んで見えるほどでしたが、
それが我々のGNP(GDP)を下支えしてくれましたね!
真っ黒(蒸機は当たり前ですが)なか細い動力車たちが全国の工場の片隅で、
ちょこまかちょこまかと行ったり来たりが電関人の工場のヤードの原風景です。
90年初頭、かの四日市コンビナートの鬼のような引込線の中を忙しそうに動く、
風景に間に合いました。。。
できれば、石原産業のB6の現役の勇姿を拝みたかったです!
狂電関人さん
四日市コンビナートでは90年初頭まで専用線の真っ黒なものが動いていましたか。
石原産業で動いていたB6は昔から有名でしたが、訪問することは叶いませんでした。
B6はけっこうあちこちで動いていたようです。
昭和30年代まで川崎・鶴見では産業用蒸機以外にクラウス、ポータ、ピーコックなどが動いていました。
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