オリンパスペンSで撮ったセタ。
沼尻硫黄鉱山の硫黄を沼尻駅から川桁駅まで運んだ3t積のセタ。
地方私鉄の軽便貨車としては最小クラスで、これより小さな簡易型だとトロッコの世界に。
セタは私の軽便趣味の限界に位置するような貨車でした。
セタは私の軽便趣味の限界に位置するような貨車でした。
沼尻には溶け込んだセタだが、他の軽便(地方私鉄)には似合わないでしょう。
沼尻までゴンドラで降りて来た硫黄をセタに積み込む、こんな積込場の施設だけでも興味深々で残して欲しかったものです。
沼尻までゴンドラで降りて来た硫黄をセタに積み込む、こんな積込場の施設だけでも興味深々で残して欲しかったものです。
撮影:1964.1.2~3
美しい?セタ28 沼尻
セタ11 沼尻
セタ31 川桁
沼尻の硫黄積込場とセタ
デルタ線と積込場があったところ。 2003.11.22
8 件のコメント:
katsuさま
うわぁぁぁぁぁぁ、沼尻だぁ~(涙)
猪苗代国設スキー場に行った帰りに、川桁の廃線遺構を友人と三人で探したのが
懐かしい記憶です。
60年代、餓鬼電関人は福岡で生まれたばっかりで、
最古の記憶は、亡き父親が休日に私の手を牽いて鹿児島本線の線路脇に行くのが
一週間に一度のルーティーンでした。そこで見ていたのがゴック(ヘビパシ)が牽いてくる
東京ブルトレの中の殿(あさかぜは博多止まり)の7レみずほ。当時すでにC59の運用は、
門司~鳥栖の7・8レのみになっていたようです。
これが電関人最古の記憶で、その後すぐ博多から8レで上京し、東京からつばさ2号(82系)で
父親の故郷山形へ行った思い出でして、残念ながら日本中を網の目のようにはびこっていた
2フィーターを知る由はなかったのでした。。。
狂電関人さん
川桁の遺構は昔の地図がないと分かりにくいでしょうね。
沼尻鉄道の廃線跡を歩きましたが、ネットにある廃線情報ではなく5万分の1の地図がないと
確定できないことを痛感しました。
沼尻鉄道が廃線後、私は沼尻駅からかなり奥にある沼尻や横向スキー場によく行っていました。
猪苗代国設スキー場とは対照的な小さなスキー場でした。
狂電関人さんの鉄道のスタートは鉄道趣味の王道だったようで、ナローなんぞとは対照的ですね。
ナローに入り込むと王道には無関心になってしまうファンが多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
同感です。
私はSL⇒地方私鉄(狭軌)⇒ナロー私鉄⇒トロッコと変遷しましたが、
トロッコまで行くと国鉄はおろか地方私鉄も無関心になってました。
最後はかなり変態趣味でしたね(笑)
にぶろくさん
トロッコファンはそうでしょうね。
鉄道趣味ジャンルで行き着く先の最後がトロッコだと思います。
私は大手私鉄→地方私鉄サブロク→地方私鉄ナローでした。
沼尻がトロッコへ入り込むギリギリで、私はなんとか地方私鉄のジャンルに止まり、
恐ろしいナローの世界には入りませんでした。
katsuさま
なるほど。沼尻が境界線ってわかります。
さらに北海道の簡易軌道も境界ですねw
トロッコ趣味側から言えば
木曽森、明延一円電車あたりが境界ですかねー
katsuさんは興味ないですか?
にぶろくさん
私にとって北海道の簡易軌道は境界を越える感じです。
にぶろくさんが木曽森、明延あたりが境界というのは、
人を運んでいたところにあると思います。
私は木曽森には関心薄いですが、
津軽半島の森林鉄道などになると猛烈に惹きつけられます。
やはり、その土地の風情と鉄路に関心が向かいます。
私はkatsuさんより下の世代で
沼尻、頚城に間に合わず
木曽森がギリギリ撮影できた世代なので、
ナロー私鉄よりもトロッコの方が
趣味対象として面白かっただけかもしれません。
SLも地方私鉄もナローも世代間格差が大きかったです(涙)
katsuさんのブログを見て改めてそう思いました。
にぶろくさん
鉄道趣味ジャンルと世代間格差の話が興味深いですね。
トロッコや木曽森ファンは確かに私の下の世代に多いことは以前から感じていました。
世代に関係なく、いつの時代も鉄ファンの多くは王道ジャンルに目が向いていると思います。
そんな中で、超マニアックなトロッコファンの存在には驚きと尊敬を感じています。
トロッコやナローや地方私鉄に共通しているのは、王道ジャンルではない点で、
人がやらないジャンルを好む傾向が強いのでしょうね。
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