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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年11月20日日曜日

鹿児島交通 昭和44年(1)

九州最南端の鹿児島交通(南薩鉄道)を訪問した田辺さんの画像からネガのコマ順に追ってみました。加世田の車庫で蒸機の廃車群を撮ってから伊集院そして西鹿児島へ向かったようです。これら沿線風景の撮影場所は不明です。

昨夜、南薩鉄道に詳しいred50keiさんから撮影場所の情報を戴き、ありがとうございました。
早速、写真撮影の推定場所を記入させて戴きました。

red50keiさんの鹿児島交通(南薩鉄道)のすべてが分かる素晴らしいサイトでした。
http://www.geocities.jp/red50kei/kagosima/kagosima-link.html
加世田豪雨3ヶ月前の1983(昭和58)年3月に3泊3日で全線(知覧線を除く)をほぼ歩き通した凄い記録でした。


撮影:田辺多知夫氏 1969.02.10
松田坂~万之瀬川橋梁 を行く DD1202 

加世田駅を発車し、これから万之瀬川橋梁を渡って阿多駅へ向かう キハ106

「松田坂」で左が阿多駅 右が万之瀬川橋梁(加世田駅) キハ302
万之瀬川橋梁を渡るキハ302

茫洋とした薩摩半島を行くキハ303
「松田坂」から万之瀬川橋梁(加世田駅)方面を見る

阿多駅構内から加世田(松田坂、万之瀬川橋梁)方面を見る.左に知覧線(廃止)が分岐.キハ302

阿多駅構内 手前が加世田、奥が南多夫施(伊集院方面) キハ106 

国鉄伊集院駅3番線ホーム 右が西鹿児島 左が熊本方面.キハ302

7 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

田辺さんの写真は加世田を中心として阿多、吹上浜で撮っているようです。同行者

katsu さんのコメント...

青蛙さん
九州の旅は田辺さんと一緒でしたね。
南薩も一緒でしたか。
田辺さんの写真の撮影場所はred50keiさんの情報から分かりました。

青蛙 さんのコメント...

りょうかいしました。有難うございます。

岡村順一郎 さんのコメント...

この写真から数年後の昭和48年夏に私は阿多駅を訪れていますが、線路は棒線化され広い構内は草生していて、古い木造客車や貨車が朽ちるに任せる状態で放置されていました。この衰退ぶりを見て、私はこの鉄道の将来を不安視ししたことを覚えています。

katsu さんのコメント...

岡村さん
この後の時代の南薩は悲惨な状況だったようですね。

red 50keiさんからのメールによれば、
蒸気機関車廃止は昭和38年で「今日限りの運行」との本社からの通達により、翌日からは一切動くことはなかった。そのまま屋外放置で日々錆が進行していった。田辺さんが撮影されたのは放置から6年目。だそうです。
ほんとうに悲惨な状況でよく廃線まで走り続けたものです。

千葉環状線 さんのコメント...

初めまして、普段から貴殿サイトを楽しんでいます。
私が小学生時代(40数年前)に薩摩松元-西鹿児島で国鉄を利用して、よく母や祖母と鹿児島市内に買い物に出掛けていました。当時は既に電化されていましたが、電車は急行(かいもん)や特急(有明や明星など)で、普通列車は電機けん引客車かディーゼル列車でした。行きは「ほぼ」国鉄列車でしたが、帰路は時間帯によって鹿児島交通の「キハ300形」単行でした。
西鹿児島を出て次の駅である上伊集院(当時は広木駅は無かった)までにいくつかの勾配区間をゆっくりゆっくりと登って上伊集院に到着しましたが、国鉄ディーゼル車両と比べて非力なのが判りました・・・トンネル途中で止まるんじゃないか?と思う程の超低速でしたし、車内アコモも国鉄車両と比較しても見劣りしていました。濃いオレンジに紺のライン、いま思えば懐かしい思い出ですね、懐かしい風景を有難う御座います。

katsu さんのコメント...

千葉環状線さん
貴重な体験談をありがとうございました。
鹿児島交通の非力なキハが国鉄線を走っていて、
いかに国鉄キハと違っていたか両者の乗り比べは大変に面白い話だと思います。
帰路に乗った鹿児島交通のキハは時代に取り残されたような古い気動車だったのでしょう。
私は乗車体験していないですが鹿児島交通の壮絶な末期を表す象徴的な出来事だったと思います。