広田尚敬氏の名著カラーブックス『蒸気機関車』(保育社刊)。小生の手許に来たのはまだ幼少の万博の年。今では綺麗に保存されたであろう往年「加世田のハノーバー」は今も尚、赤錆びたまま薩摩の景色に溶け込んでいます。
Baishirouさん広田尚敬氏のカラーブックス『蒸気機関車』の初版は1968年でしたね。“「加世田のハノーバー」は今も尚、赤錆びたまま” とはこれですね。http://gyojinsou.exblog.jp/18820327田辺さんの1969年の写真もきっと赤錆びたままの蒸機で、薩摩の景色に溶け込んでいたのでしょう。
昭和44年の時点で、5号機もかなり朽ちた状態だったんですね。その後、蒸気機関車の復活運転の構想も持ち上がりましたが、結局、実現せずに廃線となったのは残念でした。
Tomiiさん1964(昭和39)年、三井埠頭の5号機が動いていました。相鉄C、南薩C、神中先従輪付1C1、はこんな関係でした。三井埠頭記事コメントから。この三井埠頭5号機は汽車製造1924年製で汽車製造の地方私鉄向けCタンクの基準となった相模鉄道向け4両の内の1両で、相模→国鉄→東野→三井埠頭という経歴を持っている。動輪が少し大きい南薩5号機Cタンク、これに先従輪付とした神中3号機とともに地方私鉄タイプのタンク機として模型でもよく知られた蒸機である。
コメントを投稿
4 件のコメント:
広田尚敬氏の名著カラーブックス『蒸気機関車』
(保育社刊)。小生の手許に来たのはまだ幼少の
万博の年。今では綺麗に保存されたであろう往年
「加世田のハノーバー」は今も尚、赤錆びたまま
薩摩の景色に溶け込んでいます。
Baishirouさん
広田尚敬氏のカラーブックス『蒸気機関車』の初版は1968年でしたね。
“「加世田のハノーバー」は今も尚、赤錆びたまま” とは
これですね。http://gyojinsou.exblog.jp/18820327
田辺さんの1969年の写真もきっと赤錆びたままの蒸機で、薩摩の景色に溶け込んでいたのでしょう。
昭和44年の時点で、5号機もかなり朽ちた状態だったんですね。
その後、蒸気機関車の復活運転の構想も持ち上がりましたが、結局、
実現せずに廃線となったのは残念でした。
Tomiiさん
1964(昭和39)年、三井埠頭の5号機が動いていました。
相鉄C、南薩C、神中先従輪付1C1、はこんな関係でした。
三井埠頭記事コメントから。
この三井埠頭5号機は汽車製造1924年製で汽車製造の地方私鉄向けCタンクの基準となった相模鉄道向け4両の内の1両で、相模→国鉄→東野→三井埠頭という経歴を持っている。
動輪が少し大きい南薩5号機Cタンク、これに先従輪付とした神中3号機とともに地方私鉄タイプのタンク機として模型でもよく知られた蒸機である。
コメントを投稿