案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年5月30日金曜日

奥山線 ギフチョウと廃線跡

昨日は「チョウの生物学」を研究されている加藤先生からギフチョウの貴重な写真を送付戴きました。
Citrina通信No.401「谷のギフチョウ里帰り」にあった写真と同時に撮影されたようです。
写真は2年前の撮影で「谷のギフチョウ」が絶滅した谷駅跡に生える一株のヒメカンアオイと、
引佐(いなさ)地方北部の枯山で撮られたギフチョウです。
そして浜松の小栗様からも昨日の谷駅付近の廃線跡の写真を送付戴きましたので
写真を並べてみました。

枯山のギフチョウ. 2012年4月

谷駅跡に生える一株のヒメカンアオイ. 2012年3月

奥山線廃線跡の今.谷駅付近 2014.05.29 

谷の北方に引佐(いなさ)の山並みが連なる.谷~都田口 1964.10.31
50年後の今、谷の北方にある枯山が静岡県最後のギフチョウの多産地だそうです。
あの山並みの奥には今や新東名高速が走り「いなさ」コンクリートジャンクョンがあるとは驚き。
コンクリートでなく盛り土の上を走る自然に優しい奥山線はギフチョウと共存した時代があった。

2014年5月21日水曜日

奥山線 谷駅 「谷のギフチョウ」が舞った里山

素晴らしい奥山線谷駅のことは過去に何回か紹介してきましたが、谷駅の一帯は絶滅した「谷のギフチョウ」が舞う里山だった事をつい先日に知って、谷のことを再び取上げてみます。
 オリンパスペで撮った軽便風景3


三方ヶ原台地

奥山線の祝田から都田口まで三方ヶ原台地の登る坂の途中にあった谷駅は、蒸機時代には給水塔があってこの坂にまつわる様々なエピソードを何かで読んだことがある。ここを訪問した昭和30年代後半の谷駅の周りは自然豊かな里山で沿線でも格別な一角であった。

谷駅で乗降する乗客は殆どいなかったようで客がいなければ列車は通過してしまう。こんな駅でたまたま一人の御婦人が列車を待っていたのがこの写真で、駅の下の畑には水車小屋が見える。この時は春、もしかしたらギフチョウが舞っていたのかも知れない。

「谷のギフチョウ」1938年採集  撮影:加藤義臣 様

ギフチョウのラベル '38 Tani Inasa

谷駅 1964.03.23

Citrina通信 というレポートによると「谷のギフチョウ」がこの谷に生息していたそうである。谷駅付近にはギフチョウの幼虫が食べるヒメカンアオイが一面に生え、蝶が蜜吸するカタクリ、リンドウ、ショウジョウバカマなどが春の野を飾った。昭和30年代中頃には春の女神ギフチョウの姿は消えた。(Citrina通信より)

谷駅から金指にかけて奥山線は未舗装砂利道と並走するため沿線は猛烈なホコリまみれの世界であった。ところが谷駅の一帯は道路から離れていて道路のホコリの被害は少なかったようで、里山に生息するギフチョウにとって谷は理想の地であったのでしょう。

ギフチョウの幼虫が食べるヒメカンアオイは今でも谷の廃線跡に生えているのを一昨年研究家により撮影されている。そして昨年、浜松の小栗様から送って戴いた谷の廃線跡がこの写真である。

現在の廃線跡 2013年9月 撮影: 浜松在住 小栗様
うっそうとした茂みにヒメカンアオイが今も生えているのだろう。


写真の谷は高度成長期の道路整備とマイカー普及の直前で、谷には水車小屋と数軒の民家があるだけで自然豊かな台地と畑からなる里山であった。戦後日本の原風景を残していて私にとってこの頃の民家風景などは年々感じ方が変化して来ている。

最近この時代の民家などがやたら愛おしくなるのは、薄汚く見えた昭和30年代の風景には近代化で失われた美しい自然があったせいなのか。この里山の民家にはギフチョウが舞う自然豊かな生活があったことが想像される。
昭和39年に廃線となった奥山線は「谷のギフチョウ」と伴に消滅してしまった。 昭和30年代後半は高度成長期で貴重なものが次々と失われて行った時代であった。あの里山は今や宅地開発、変電所設備で激変してしまったが、最後に残されたこの谷の廃線跡は鉄道遺産、自然遺産として大切に保存してもらいたいものです。

谷駅の廃線跡と茂み. 2000年5月

2014年5月11日日曜日

井の頭線 吉祥寺駅ビルの開業

長いこと工事中であった井の頭線の吉祥寺駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」が姿を現し開業したのが先月末。
4月23日に吉祥寺駅を通ったら各所がスッキリしていて、あの日は駅ビルオープンの日であった。
2010年4月に駅ビル建替工事が始まり、長いようであっという間の4年間であった。
迷路であった井の頭線~JR北口乗換え通路は建替え工事で更なる迷路になっていたが、
工事完成で昔に比べ大幅に乗換が楽になった。
2010年4月と言えぱ丁度このブログ1960年代がスタートした頃、
ブログ訪問者の100万人目標も達成、そろそろブログ1960年代も終わりとし元の日常ブログに戻るか??

週末夜の吉祥寺駅 2014.05.10

井の頭線改札
井の頭線改札を下ったJR南口改札前の広場
井の頭線~JR南口の乗換え通路が整理され一新されたが
基本的な通路配置に改装前のイメージがよく残っている.
オープン間近の駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」  2014.03.08

2014年5月3日土曜日

昨日のテレビ朝日スーパーJチャンネル「謎の玉川改札」

昨日の夕方、テレビ朝日のスーパーJチャンネルで「渋谷駅の七不思議」が放送され、
「謎の玉川改札」で先日の「玉川改札の今昔」2枚の写真が使われました。
日を追って七不思議の一つずつを取上げて行くのかと思っていたらからまで一気の放送でした。

渋谷玉川改札の昔 この裏付けとして昔の渋谷駅山手改札の写真を調べたのですが、狭い改札口だったのかどうかはよく判りませんでした。玉電本9冊、山手線本、東急本等どの本見ても昔の山手線改札口なんて撮る人はいなかったようです。


「謎の玉川改札」。なぜJR渋谷駅の改札に玉川の文字が?


昔の玉電渋谷駅と山手線改札口
その後の調べで玉電ホームの真正面あれが山手改札口に間違いありません。
渋谷駅開業から今、そして13年後2027年の渋谷までが紹介された