案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年9月8日日曜日

遠鉄奥山線 祝田の変貌

写真は2000年に奥山線の跡を訪ねた時に祝田の大築堤があったところを撮ったものです。
奥山線が都田口から三方原台地を下り谷を過ぎ祝田の大築堤をカーブし、そこから先一面畑の中を一直線に金指へ向かって走っていた祝田風景の36年後です。時が経つと奥山線現役時代のあの風景があまりも長閑過ぎて信じられないくらいです。廃線となった1964年(東京オリンピック開催)の頃から浜松郊外も大きな変貌が始まったのでしょう。

祝田駅と大築堤があったところで遠くに金指の街並が見える. 2000年5月

この区間は奥山線に沿って細い砂利道257号が走っていましたが、奥山線廃線後を道路拡張に使って今の国道になったと思われます。当時の5万分の1地図で確かめると今の国道257号の線形は奥山線の軌道とよく一致していて、都田川を亘ると少し向きを変え金指へ一直線に進んでいます。

昔の奥山線と細い砂利道(国道257号)

では奥山線が走っていた頃の風景を逆に金指から祝田へと向かってみます。
金指を出ると稀にトラックやバスが通る砂利道と並走して祝田へ向かう.
あたりは一面畑で何もない. 1964年3月

砂利道と別れ少しカーブしてから都田川鉄橋を渡る. 1964年10月

橋の先の直線区間に祝田駅がありここでバスは奥山線を横切る.ここから先、
奥山線と砂利道は並走し台地の手前で大築堤を左にカーブして登る.1964年3月

奥山線と並走して台地へ入ってきた砂利道は、国道とは言えこんな道でバスやトラックが
すれ違いできるのか? と思えるくらい細い道で、奥山線と離れてクネクネ坂を登る.
遠くに金指方面の山並みが見える.1964年3月

4 件のコメント:

影武者 さんのコメント...

ストリートビューから定点撮影っぽく抜き出してみました。

金指の直線砂利道
http://goo.gl/maps/XRome

都田川鉄橋
http://goo.gl/maps/cU7Cx

祝田駅(祝田バス停がかつてのホーム位置)
http://goo.gl/maps/sjnHx

三方原台地へ上る257号線旧道(舗装以外は恐らく昔のまま)
http://goo.gl/maps/rRtxL

遠鉄奥山線 最後の日-1
二俣線併走区間1
http://goo.gl/maps/4IvaL

同地点から振り返り、C58とすれ違い
http://goo.gl/maps/MTgBl

奥山線最終日のお別れ列車と二俣線列車
http://goo.gl/maps/58fga
※当時のカメラアングルそのままだと「みかん直売所」の看板
真正面なので少し引きました。
左へカーブする草地が奥山線軌道敷

その他 県道318号線の奥山線陸橋
http://goo.gl/maps/WQXDz

長文失礼致しました。場所やアングルはこれらで恐らく
合っているかと思いますが、どうでしょう?

katsu さんのコメント...

影武者さん
ストリートビューで見た現在の風景ありがとうございました。ビューのほとんどが撮影ポイントに間違いありません。ストリートビューでこの一帯はくまなく撮影されているのでパソコンで廃線跡めぐりができますね。

私もビューで何回か確認していましたがこれほどまで各所は見ていませんでした。祝田駅手前にあった踏切の位置などは直ぐに判りますね。都田川鉄橋は正にここが撮影ポイントで昔の面影をよく残しています。台地をクネクネ曲がって上る旧道が残っていたのには気が付きませんでした。

小栗②@浜松 さんのコメント...

小栗②@浜松です。くねくね道、確認しました。当時は、車が通れる程度の道だったのでしょうか。登山道なみの山道だったのでしょうか。

ずいぶん大幅に埋め立てて、道路を造ったんだなぁと、今の風景と比較してびっくりしてしまいました。

くねくね道から見た軽便の農道をまたぐ小さい鉄橋ですが、今も小さい道があります。

ビューでその小さいトンネルをくぐって見てみると、ここを走っていたのかなぁという面影も見れました。
https://goo.gl/maps/EKoCU

katsu さんのコメント...

小栗②@浜松さん
あのくねくね坂は当時から国道だったと思います。
曲がりくねった狭いガタガタ道をトラックや遠鉄バスがホコリを巻き上げて走っていた物凄い光景は、まさにこれぞ日本の1960年代クルマ社会幕開前の光景でした。
日本中いたるところで道路沿道はホコリまみれの世界で、今の日本では考えられないことです。

こんな悪路のクネクネ坂でも遠鉄バス路線が走っていたため早々と奥山線が廃線となりました。
一刻も早く奥山線の一部を活用して道路整備したかったのでしょう。
祝田から登るクネクネ坂は当時から谷駅の手前で大きく分かれるので、谷駅の手前には道路公害がない自然が溢れ、今でも茂みの中に廃線跡があるようです。

ビューで見れる小さなトンネルの上に昔奥山線が走っていて、廃線後に立派な道路に生まれ変わったということですね。