案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年6月18日火曜日

新潟交通 雨の県庁前

初日、国鉄新潟駅から新潟交通始発駅の県庁前に到着するとあいにくの雨であった。
ここから全線乗車する予定が雨で嫌気をさし、撮影を中止し新潟港から佐渡島観光へと向かった。
翌日にまた県庁前に来てみるとまたしても雨。小雨の中を併用軌道を歩き始めた。

雨の県庁前 1968.08.16

雨の県庁前
モハ16(元国電旧伊那)+クハ36(初代モハ16)

新潟を出港し佐渡島の両津港に到着. 1968.08.16

佐渡金山(鉱山)の遺構(北沢浮遊選鉱場跡)を見学.

翌日もまた雨の県庁前 1968.08.17

併用軌道を発車した電車. 県庁前

10 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

行こう行こうと思いつつ、ついに行かずじまいになってしまった新潟交通です。この写真を見て改めて後悔です。

Cedar さんのコメント...

雨の県庁前~唄のタイトルみたいです(笑)
ダブルルーフのM車と大窓小形のT車のアンバランス編成も痺れます!

常夜燈 さんのコメント...

伊奈電が走っているのを
撮った事も、勿論乗った事も
ありません。この頃には
新潟交通も北鉄浅野川線も
朝のラッシュ時のみの
運用だったのでしょうか?

chitetsu さんのコメント...

伊那電と日鉄自のクハの組み合わせはまさに模型のようです。
伊那電はダルマさんになった姿を東関屋で見ました。

katsu さんのコメント...

匿名さん
私も全線乗らなかったのを後悔しています。
新潟交通の素晴らしさを50年経った今になって分かりました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
新潟交通でこの編成は魅力的ですね。
これを撮っている頃はどこでもこんな古い電車をよく見掛けました。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
全国でこの種の電車が急速に居なくなった時代だったのかも知れません。
この電車が朝夕のラッシュ時のみの運用であったかどうかは分かりません。
ここだけでなくどこでも撮っている頃は当たり前と思っていました。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
>伊那電と日鉄自のクハの組み合わせはまさに模型のようです。

新潟交通はほんとうにchitetsuさんの中越地方鉄道を見ているようです。
地方私鉄として刺激的だったのは田舎電車のカラーリングもあったと思います。

伊豆之国 さんのコメント...

新潟交通に乗ったのは、もうかれこれ30年余り前の学生時代。乗った区間は東関屋→県庁前の路面区間だけで、それも残念なことに大した印象が残っていないのです…。かつては市街地や橋などでいくつか見られた、このように大きな図体の「普通の電車」が道路の真ん中をノロノロと走り抜ける風景も、名鉄犬山の木曽川鉄橋が道路と分離されて以来、強いてこれに類する場所を挙げるとすれば、福井鉄道にわずかに残っている高床車両と、地下鉄直通で路面電車の色彩がほとんど消えた京阪京津・石山坂本線の浜大津界隈ぐらいではないでしょうか。
佐渡ヶ島には、20年ほど前に訪れ、相川に一泊し、金山や日蓮上人ゆかりの史跡、人形芝居の資料館などを巡っていますが、このときは新潟駅と港の間は往復とも直行でした。
…余計なお世話ですが、「両津」というとかの亀有北口交番のお巡りさん、両津市が合併で佐渡市になったから苗字も「佐渡」に変えたらどうなのか、と余計な突込みを入れたくなったことがありました…。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
訪問されたのが30年余り前ということは1980年代初頭ですね、それから更に10年もあの路面区間の光景が存続し、全廃は1999年ということで私の訪問1968年から30年も活躍していた事に驚きです。
路面区間の印象が薄かったのは私も同じなんですが、それが今になってみると素晴らしい光景に思えてくるのは時代の変化のせいなのでしょう。印象薄かった当時の電車も写真で一台一台追ってみると全く印象が変わり、とんでもない電車が走っていました。