案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年9月6日木曜日

鹿児島市電 旧上町線の跡

高校を卒業する(昭50年頃?)まで鹿児島にいらしたN さんから先月メールを戴きました。
2011年4月26日にアップした鹿児島市電市内風景で左へ分岐する軌道がある交叉点は郡元ではなく朝日通りだそうです。

これを撮った昭和42年は市役所南側の交叉点で分岐する軌道はない筈で、ここは郡元では? と推定したのですが、ここが朝日通り交叉点ということは市役所の南側に写っていた分岐線は一体何だったのか?
Nさんのメールによると 「この左側に向かう引込線は、1945年(昭和20年)の空襲で破壊され、休止となった上町線の旧ルートの名残です。ラッシュ時に運転されていた12系統や貸切の臨時運転の車両の折り返しに使われておりました」とありました。
戦前まで上町線はこの旧ルートを走っていたわけですね。その廃線跡の一部が使われていたとは驚きました。

朝日通り交叉点.左に分岐する軌道は上町線旧ルートの跡であった.1967.03.01 クリック拡大
電停「朝日通」の向こうに市役所の建物が見える.
左の旭相互銀行と右の日興証券のビルは現在も面影を残している.

朝日通り交叉点と市役所周辺の建物、そして上町線の旧ルートは上図の通りで、
撮影場所が不明だったのが次々と判ってきました。(電停名は当時の名称)
戦後の上町線が分岐する交叉点から朝日通り交叉点まで順に写真を並べてみました。

桟橋通り交叉点で左に分岐する上町線清水町行(戦後の新ルートで1985年廃止) 1967.03.01
手前が電停「市役所」で正面を進むと鹿児島駅前に出る.

久保陽子バイオリンリサイタルの垂れ幕がある南日本新聞のビルは市役所の斜め前にあった.
左にホーコクセメントのビルがあり両ビルの間に電停「市役所」が見える.
当時の電停「市役所」は市役所前にはなく、今の電停「市役所前」は市役所側に移動された?

西日本新聞ビルの横から見た桜島の噴煙

市役所前の広々とした通り.隣はホーコクセメントのビル.

上町線旧ルートの軌道跡があった朝日通り交叉点

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

鹿児島市電!大学時代は九州が好きで何度か行きましたが私の頃は当然ルート変更後でした。
古い電車はなんとなく東京都電の香りがしたのに、一転して大阪市電風の顔に統一されたのも面白かったですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、私も九州へ行ったのは学生時代で観光と鉄道が半々の旅でした。
やはり関東人にとって九州は各別の印象がありますね。
現在の鹿児島市電の電車に乗ってみると昔とは違った今の市電が楽しめるのでしょう。
よくできたHP 「鹿児島の市電と街」 を拝見すると今の市電のある街の
全体がよく把握できて楽しくなりますよ。
昔も今も路面電車は楽しいものですね。