案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年9月11日火曜日

小山の扇形機関庫

コメントを戴いた「ゆうちゃん」が撮られた小山の扇形機関庫の写真を使用許可いただきここにアップします。
私にとって小山機関区があったこの時代は大変懐かしく1970(昭45)年の私の記録を調べてみると、1970年6月30日に小山のC50が最後の日を迎えています。ちょうど小山市内に住んでいたのでこの日のことは忘れられず、夜遅く雨音と伴に悲しい最後の汽笛(構内作業)が自室まで良く聞こえたものでした。

その後蒸機に使われなくなった扇形機関庫はしばらく電機や入換作業用DLに使われていたようです。
この扇形機関庫の写真が撮られたのは1970年1月4日で小山のC50廃止の6ヵ月前ということに。
この写真のちょうどこの頃、機関区の人に招かれて踏切そばの扇形機関庫裏手の門扉から小山機関区の内部に入った事が思い出されます。残念ながら扇形機関庫は何も撮っていなかったので、私にとってこの写真は貴重で懐かしく小山時代が想い起こされます。

小山の扇形機関庫 撮影: ゆうちゃん  1970.01.04  クリック拡大
1970年6月30日に扇形関庫の主C50が最後を迎えた。


昔の航空写真から小山機関庫のおおよその配置で 扇形格納庫は13本あった.
線路配置はイメージです.


 庫内のC50110    撮影: ゆうちゃん

2 件のコメント:

小山ニ小卒業生 さんのコメント...

小山機関庫の最終日に家族で見に行った記憶があります。場所がどこだか分からずこのサイトに辿り着いたのですが、今の天神町あたりでしょうか?

katsu さんのコメント...

小山二小卒業生さん
機関庫の最終日に行きましたか。
私はC50の入替作業の最終日の汽笛を思川の畔の借家から聞いていました。
雨ふる最終日のことをよく覚えています。

機関庫は宇都宮線はさんで天神町の反対側の少し小山駅よりです。
宇都宮線と水戸線に挟まれたデルタ地帯で機関庫を囲む当時の小路と宇都宮線を渡る跨線橋が今も残っています。
デルタ地帯とはブログ記事に示してある通りです。