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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年12月21日土曜日

鉄道ファンが撮った岩手軽便鉄道

宮澤賢治(1896年-1933年)の「銀河鉄道の夜」と言えば岩手軽便鉄道。
岩手軽便と花巻電鉄と軽便2社が並ぶ(軽鉄)花巻駅のことはRMライブラリー176巻 花巻電鉄(上)で湯口徹氏が解説されています。

先日、(軽鉄)花巻駅を撮った写真を持っているという人に会いました。
昭和11(1936)年8月に岩手軽便鉄道が国鉄に買収され釜石線になった(軽鉄)花巻駅を撮影した方(故人)から切符や写真を譲ってもらったそうです。岩手軽便→国鉄釜石線になっても暫くは車両や切符や施設などは岩手軽便のままだったようです。

岩手軽便の2'6''→3'6''改軌や(軽鉄)花巻駅の移転、花巻電鉄の(軽鉄)花巻~西花巻の営業停止はずっと後の時代であり昭和11 13年の(軽鉄)花巻駅には岩手軽便と花巻電鉄が並んでいた筈です。

その光景を写真に期待したのですが、写真は岩手軽便(国鉄釜石線)の混合列車が停車している風景で残念ながら駅全体は写っていませんでした。
写真は岩手軽便の蒸機1号→ケ236がはっきりと写っているもので、その後ろに連なる無蓋車と客車。

この時代に中判カメラ持って軽便を撮りに行った鉄道ファンは大変珍しいと思われます。
仙南温泉軌道、成田鉄道、三里塚軽便? 武州鉄道、坂川鉄道? 等々 昭和10年頃に撮られた写真をこれから是非お借りしたいものです。


(軽鉄)花巻駅のボールドウィンCタンク機 ケ236  昭和13年

遠野駅のケ235  
残念ながらプリントした写真に東京駅100年のスタンプが押されていた。
撮影:昭和11(1936) 13(1938)年夏 写真所蔵:安達賢氏 


岩手軽便(釜石線)の起点(軽鉄)花巻駅の東北本線花巻駅への移転に伴い、花巻電鉄の起点は線路を短縮して中央花巻駅へ移転した。
以前ブログにアップした中央花巻駅の記事はこちらです→中央花巻駅


6 件のコメント:

tachikawa さんのコメント...

この2枚と同じ写真が『陸蒸気30年』(野島富三郎・安達 克編 昭和44年)という写真集に掲載されています。同書にはあと3枚岩手軽便の機関車・客車の写真があり、いずれも撮影は昭和13年8月となっていました。

katsu さんのコメント...

tachikawaさん
写真集の情報ありがとうございます。
そうでしたか、昭和44年に発表済みだったのですね。
野島富三郎さんという方が撮影者かも知れません。
安達克さんは安達賢さんの本名です。
岩手軽便があと3枚あることは全く知りませんでした。
撮影は写真の裏書に昭和11年夏とあり写真集の撮影日と2年ほど食い違いがありますね。
岩手軽便以外の写真をこれから当たってみよう思っています。

おそまつくん さんのコメント...

野島富三郎さん、懐かしいお名前が出てきました。
元、東京機関区の機関士さんです。
お召し列車に乗務された事もあるとおっしゃってました。
昭和50年に撮影ツアーでインドへ行った時ご一緒で
その後南アフリカ、南インドも一緒でした。
もう亡くなられて30年ほどなると思います。

katsu さんのコメント...

おそまつくんさん
いや~驚きました。
あの「陸蒸機30年」の著者をご存知とは。
著者はお召列車に乗務されたこともある機関士でしたか。
とすると地方軽便めぐりの撮影者とは違うのかもしれません。
岩手軽便などの撮影者は50年前くらいに亡くなられたと聞いています。

SGO さんのコメント...

手持ちの「陸蒸気30年」誌を見ますと(野島富三郎・安達 克編)とありますように編集をしたとしております。
中の写真には全てに撮影年月が記されておりませんし撮影者名もありません。当然編集者が撮影したものもあると思いますが、206ページの最後に書かれている方から提供を受けた写真もあるかしれません。本編写真の提供者(撮影者)がどなたかは知りませんが、巻末に書かれた写真提供者と照会してみてどうでしょう。
 写真提供者氏名
  阿久津 浩  及川 真郎  野島 重則  角野 栄一  蓮池 光明 

katsu さんのコメント...

SGOさん
情報ありがとうございました。
撮影年月も撮影者名も記載されていないのは鉄道ファン向ではない本かも知れません。
岩手軽便2枚の写真提供者はこの中のどなかのようですね。

「陸蒸気30年」掲載済みを除く未発表の写真を安達さんに依頼しました。
面白いのが見つかるとよいのですが。