案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年1月17日水曜日

駿遠線 鞆鉄道からやってきた気動車

駿遠線には鞆鉄道からやってきた片ボギー車C12とC13がいて、C13はボギーに改造されD13になった。鞆鉄道からやって来たのは更にボギー車D11もいた。
見たことはないが、いかにも駿遠線らしいこんな良き時代があった。

片ボギー車キハC12。 昔の鉄道模型趣味誌に車両竣功図が掲載されたことがあった。両側にあったカゴが無くなっている。満員の乗客乗せて大手に向かうのでしょう。

キハC12単軸側の拡大

1/80ナロー10.5mmゲージ

キハD11。 一見、片ボギー車キハC1のように見えるがボギー車で、元は鞆鉄道のWルーフ車だった。

撮影日は不明、場所は新藤枝でしょう。
先輩の写真から。

4 件のコメント:

常夜灯 さんのコメント...

自社製気動車が大量生産される前の
昭和30年代前半の画像と思います。
下の画像は、私は大手工場で背後が
ホームと見ました。いつも貴重な
画像をUPして頂き感謝しています。

匿名 さんのコメント...

常夜燈さん
鞆鉄道が廃止された昭和29年からすると、
確かに昭和30年代前半となりますね。
大手工場といえば袋井工場と同様に物置小屋のようだったようです。
そんな工場でよくあれだけの車両を製造したものです。

常夜灯 さんのコメント...

大手工場は袋井工場の2倍は
あったと思います。建物は
すべて木造でしたが大きく
サブロクの工場と変わりません。
何年か前に再訪しましたが郊外型の
銀行や店舗になっていました。因みに
袋井工場はメモリアルセンターに
なっていました。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
大手工場を見てみたかったです。
袋井の2倍くらいの工場でしたか。
袋井ではこんなボロい工場の中を見せて下さいとは言えませんでした。
工場内部に入れてもらい、どんな設備で新造していたのか写真に撮っていたら素晴らしいでしょうね。