1988年4月瀬戸大橋開通後も、下津井電鉄はどうやってこの観光路線に客を引き寄せようとしていたのであろうか? 考えられそうな推測をしてみました。
1987年頃、下電バスのドル箱観光コース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に、メリーベル号乗車、メルヘンチックな児島駅での買い物、下津井駅の車両展示施設見学などを新規に組み込んだのであろう。
瀬戸大橋の開通に伴う丸亀航路の消滅、JR茶屋町~児島開通による岡山~児島間の時間短縮があっても、大橋開通効果により下電バス+観光鉄道のコース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に飛躍的な集客が見込めると読んだのであろうか。
昔は下津井までバス道路が整備されていなかった絶景の海岸線。
車窓に瀬戸大橋が見えるのはここだけ。下津井電鉄と並走する道路は大橋開通以前に既に整備されていて、児島または下津井からはわざわざ電車に乗らなくても、ここ鷲羽山へバスで行けるようになっていた。鷲羽山 1988.4.9下津井駅からメリーベル号で鷲羽山めぐりにやって来た団体客。これに乗車することが観光のセールスポイントの一つ。明日は瀬戸大橋が開通する。 鷲羽山 1988.4.9
児島へ向って発車したメリーベル号。
下津井駅は下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートであった。丸亀航路が消滅してからは、ここからバスか電車に乗って児島に引き返す。1988.4.9
4 件のコメント:
メリーベル号は当時としても奇抜な車両だったのですが、改めて見るとなかなか秀逸な
デザインです。アメリカン・インターアーバンを彷彿とさせるダブルルーフの車体に
前面に持ってきたZパンタがよく似合う。
ダブルルーフは外見だけでなく構造的にもちゃんと二重屋根になっていたようで、
近年の製造例は当車と今年新製されたJR西日本のスハテ35 4001くらいでしょう。
置き猫さん
ブログでメリーベル号は全く無視していましたが、今回、初めて活躍の姿をアップしました。
時代が過ぎ悲劇の電車を改めて見てみると、確かに凄い電車だったのですね。
一見ディズニーランド風と赤のカラーリングで、関心なくなってしまったのが残念です。
惜しかったですね、メリーベル号。
レトロ調だけど、ほとんど赤一色でシンプルにまとめてあると思います。
観光の目玉として期待しただけに、余計に残念でした。結構意欲的でしたよね。
esehokuさん
何のためのメリーベル号導入だったのか誠に悲劇の電車でしたね。
この電車の導入が1988年初めとなると、
大橋開通4月までの3ヶ月間で役目を終えたことに。
コメントを投稿