案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年2月2日木曜日

昔の鉄道仲間

田辺さんが遺した画像の中に貴重な記念写真を見つけました。昭和39年3月遠鉄奥山線の帰路に寄った駿遠線で雨が上がらず早目に切り上げ東京へ向かっているところです。

学生時代に地方私鉄を撮り歩いた鉄道仲間は田辺、飯島、和田、風間の四人であったがまず四人揃うことはなくこのメンバーの中の2~3人で出掛けることが多かった。
この写真の時はもう一人諸河氏(のちの鉄道写真プロ)も参加していたが、彼は駿遠線の新藤枝~袋井間を全線乗車する余力があり藤枝で別れて我々は先に帰路についた。
貴重な記念写真と言ったのは、珍しく四人揃った旅だけでなく、自分たちの記念写真は絶対に撮らない主義(フィルムが勿体ない)であったので、まずこういうスナップ写真などはあり得なかった。今思えば一回の旅で数枚くらいは撮っておけばと後悔しきり。

1964(昭和39)年3月25日
ブログでたびたび使わせてもらっている名作の撮影者 故田辺氏

「私鉄の車両」シリーズ全24巻 保育社を遺した故飯島氏.カメラ向けられるのを最も嫌った彼.

時々ブログのコメントに登場する和田(青蛙)氏.彼と一緒に旅したのが最も多かった.

私(風間)です.

この日、諸河氏が乗った駿遠線. 新藤枝から袋井まで軽便60kmの旅.

新藤枝駅

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

鉄旅に学生服の方がいらっしゃるのが時代ですね。
我々のころはさすがにそういう人は・・・
「機関区行くのにGパンは失礼だ」と言ってる先輩はいましたが。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
詰襟学生服とは驚きですよね。
そんな私も奥山線廃線式には気を使ってか学生服を着ていました。
団塊世代以降で鉄旅の服装も装備も大きく変わったと思います。
私達の上の世代では鉄道会社を訪問するにはネクタイ締めて失礼ないようという方がいました。
私達世代は学生服が万能でそれが正装でした。
僅かの世代(年)の違いで若者ファッションや文化が大きく変わった時代ですね。
1970(昭和45)年がその変わり目であったと思います。

esehoku さんのコメント...

あ゛~…💦
昔、(社会人になってからです)、某中小鉄道会社を訪問した時、菓子折りこそ持参しましたが、しっかりとカジュアルな服装でした。
反省しきりです…。
若気の至りで許していただきたいです。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
菓子折りの持参とは凄いですね、まるで仕事みたい。
社会人になってからでも私は菓子折りまで考えもしませんでした。
そこまで気配りすればカジュアルな服装で十分でしょう。
さぞや訪問先に喜ばれたことでしょう。
先輩方のネクタイ締めての気配りは驚きです。
鉄道を深く愛し鉄道会社に強い尊敬を抱いていたのでしょう。