案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年11月22日火曜日

鹿児島交通 昭和44年(2)

今月30日にNHK BSプレミアムで美しく再整備された南薩線の車輛たちが紹介されます。


1969(昭和44)年の鹿児島交通で加世田と隣の阿多にいた車両たち。
撮影:田辺多知夫氏 1969.02.10
DD1202+砂利積んだ貨車+ ホハユテフ67

キハ105
キハ101

キハ301

ホユニ66

テフ25

阿多駅に留置されていたホハフ68

ホハニ59

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

鹿児島交通は大学時代に訪問しました。お写真の3年後くらいでしたが、加世田の構内は全く同じ雰囲気で、C12 も木造客車も化石のように留置(放置)されていました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
3年後の1972年の訪問でしたか。よく架線のない鉄道を加世田まで行かれましたね。
あの使われなくなった車両群は朽ち果てるまで永く加世田に置かれていたようですね。
朽ち果てた車両の光景は九十九里鉄道をイメージしてしまいます。

私は昭和42年に鹿児島から指宿枕崎線で枕崎へ向かったのですが、
枕崎は余りに遠過ぎるのと予定した指宿温泉は高級宿で泊まれず鹿児島へ引き上げてしまい、
とうとう鹿児島交通訪問が実現しませんでした。

esehoku さんのコメント...

昭和47年頃はSLブームで、鉄道誌以外の一般誌でも鉄道関係の特集が多かったのを覚えていますが、その中で、『少年マガジン』が巻頭のカラーページで鹿児島交通の紹介をしたものがありました。
初めて見る、あの鮮烈なオレンジ色と、草蒸した細い線路のコントラスト…。
一般誌でしたから、キハ○○型云々といったマニア向け(?)の紹介ではなく、当時は百花繚乱でありながら多くの人が知る機会の少ない、それでいてインパクトのある鉄道の紹介をストレートに、また、ひなびた沿線風景をありのままに写したものだった記憶があります。
あれでいっぺんで鹿児島交通が好きになってしまいましたが、何せ日本の最南端、関東人のワタシには訪問する機会ができないままです(💧)。
あの少年マガジン、今でも欲しいです(笑)。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
昭和47年頃は確かに凄いSLブームでしたね。そのころ私は鉄道趣味から遠のいてしまい鹿児島交通のことはよく知りませんでした。「少年マガジン」で鹿児島交通の紹介カラーページがどんなものだったか私も見てみたいです。九州の最南端で昭和59年の廃線までよく持ちこたえたものと思います。

Cedar さんのコメント...

2度コメすみません。
鹿児島交通加世田の写真を記事にしてましたので
→http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06
この時は枕崎まで行き、かつお節くさい宿に泊まった記憶があります。
駅前には鹿児島交通の冷房特急バスが待機し、鉄道の時代は終わってることを実感させられました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ブログの訪問記拝見しました。
昭和48年に鹿児島交通に乗って終点の枕崎まで行かれましたか。
この頃の鹿児島交通は既に先が見えていた雰囲気のようですね。
枕崎は焼津と並ぶ外洋マグロの2大漁港基地で、私も行ってみたかった行くべきでした。