案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年8月10日水曜日

国鉄軽井沢駅

上田丸子電鉄訪問の7年前、1963(S38)年夏は松本電鉄を訪問した後、篠ノ井に出て丸子線を車窓に見て軽井沢へ向かったのでした。目的は2か月後に終了する碓氷峠のアプト式を撮るためで軽井沢に一泊。

翌日、早朝の国鉄軽井沢駅では朝もやに包まれてD50など多くの蒸機がスタンバイしていた。そして駅前には草軽電鉄の新軽井沢駅の跡が残っているなど、軽井沢駅ではアプト式機関車だけでなく様々な光景を見ることができた。信越本線軽井沢~長野間が電化した直後で、碓氷峠の新線がスタートする直前の軽井沢駅はこんな光景であった。


朝もやに包まれた軽井沢機関支区. D50   1963.7.21


D50.  朝の軽井沢駅

軽井沢機関支区

草軽電鉄の新軽井沢駅がそのままバスターミナルに.
1960年4月廃線の3年後で「電車・バスのりば」の看板が書きかえられていた.
 
駅はバスの施設となり草軽の貨車の車体が残されていた.


軽井沢駅のED42    1963.7.21


横川へ下るED42 4重連回送

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