案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年1月7日土曜日

昭和37年(1)

私が撮影を始めて2本目のネガに映った昭和37年のひとコマ.
フィルムがもったいなくて狛江の我家の風景は殆ど写っていなかった。


夕飯が終わり眠気が襲ってくる時間.


親戚の家族が来訪したときに庭で撮ることがあったお客さんの写真(親戚の兄妹).
隣が石材店で墓石を刻んでいた.世田谷通りはまだ非舗装だったか?



常総線の庫の奥にいた蒸機.

常総線の取手駅風景.


小田急の経堂車庫.

9 件のコメント:

jha141 さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
katsu さんのコメント...

1
jha141さん
喜多見の駅から多摩川の土手まで南北に広い狛江でした。
その一面田んぼの中に梨畑があったのを覚えています。
今ではギッシリと住宅が建ちあの時代から風景が一変しましたね。

jha141 さんのコメント...

兄妹の写真見て、こういう子達居たな 妹さん 可愛い 良い所のお嬢さんとすぐわかる 梨もぎしても怒られなかった。
スイマセン前投稿消してしまいました。

大木 茂 さんのコメント...

ぼくは風見さんの4歳年下。ぼくが住んでいた世田谷の田舎でも、畑や原っぱが拡がっていましたが、今や住宅密集地となっています。
自転車に乗って見に行った経堂の電車区にはあんな車両もいたな、と思い出し楽しく拝見しました。
だがしかし、”昭和37年”というのは”昭和32年・1957年”、いや”昭和27年”のお間違いではないでしょうか?
というのも、前回の八王子機関区が”1962年・昭和37年”だったことと、少年姿の風見さん?はどう見ても小学生。
被写体違い、人違いでしたらば、お許しください。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

鹿部電鉄 さんのコメント...

取手駅構内の情景いかにもという感じですね。私がその数年後(昭和37年が正しければ)関東鉄道各線の撮影に行った時に常総線のホームから見た景色と、あまり変わっていなかったと思います。ところが今Googleマップの衛星写真やストリートビューで見ると、同じ場所だと言われても想像がつきません。あれ以来常磐線に乗ることはあっても取手や土浦で下車することなどなかったので、半世紀以上の空白ならさもありなんと言うことでしょうか。それでも水海道や真鍋の車庫で嗅いだ軽油の匂いはいまだに忘れられません。

katsu さんのコメント...

大木 茂さん
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
写真は撮影をスタートした昭和37年です。

すみません、キャプションにしっかり書いておかなかった紛らわしい写真。
写真は来客の親戚の兄妹です。この時私は大学一年でした。
キャプションを訂正しました。
この写真が私だとすると確かに昭和27年くらいになります。

katsu さんのコメント...

鹿部電鉄さん
取手駅構内の写真は昭和37年の撮影です。
この数年後はまだそれほど変わっていなかったのでしょう。
それが全く変わってしまった現在はその通りですね。
取手に限らず至るところで風景が激変していると思います。
それだけ年が過ぎ去ったということになりますね。
あと10年もするとこんな昭和37年の時代を知る人も
どんどん居なくなってしまうでしょう。

Cedar さんのコメント...

おそコメ失礼します。風景もですが人の顔つき、体つきも表情もずいぶん変わったのではないでしょうか。お写真のお二人の表情も立ち姿も、昔の自分を見るような気がしました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
全く同感です。子供に限らず人の写真にはその時代を感じますね。
日本人の進化が写真から読みとれます。
だから若い人は今の人を撮っておけば、遠い将来の進化が分かると思います。
ただ、スマホで膨大に撮られた今の写真の遠い将来は、昔の写真何でもありでどんなことになるやら?