案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年2月22日金曜日

渋谷の井の頭線のりば

先日、世田谷美術館で見た田沼武能写真展「東京わが残像1948-1964」で最も惹きつけられたのがこの1枚であった。今や世界から観光客がやってくる注目の渋谷駅前も、戦後のこんな闇市風景から70年ほどで今の渋谷駅風景になった。

1948(昭和23)年の渋谷駅前。ハチ公広場の向こうラーメン屋の隣に井の頭線のりば入口が見える。田沼武能写真集「東京わが残像1948-1964」の1枚。
ハチ公の二代目は昭和23年9月に再建で、写真のハチ公はできたばかりということに。

井の頭線 渋谷駅の今昔

 元玉電渋谷駅と地下鉄銀座線の線路の上に渋谷マークシティが2000年オープンし、その脇に井の頭線の入り口がある2013年の風景。

田沼武能写真展で購入した写真集。

写真展のこと
先日は世田谷美術館で開催中(2/9~4/14)の田沼武能写真展「東京わが残像1948-1964」へ。美術館は駅から離れた広大な砧公園の一角にあった。
1950(昭25)年前後と1955(昭30)年前後の写真が多かった感じで、「子ども」「下町」「街の変貌」の視点でとらえている。この1950年代の戦後を引きずったインパクトある東京の風景は1960年代には薄れてしまった感じで、戦後復興のスピードが驚くばかり。

この衝撃的な1950年代の東京を幼少時の脳裏に残すのは昭和20年前後~昭和30年生まれあたり迄でしょう。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

印象的だったのは、上野鈴本の楽屋での古今亭志ん生一家の写真でした。我が家近くに住んでいて、祖母が「都電で志ん生さんと一緒だった」と話していたのを思い出しました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
上野鈴本の楽屋の写真(1959年撮影)ありましたね。
家が鈴本の近くでしたか。
一昨日、砧公園のすぐ近くで用があったので世田谷美術館に立寄って写真集を買ってきました。
やはり写真展と写真集ではかなり違いますね。

Nakao さんのコメント...

いつも大変楽しく拝見させていただいている還暦親父です。渋谷は、井の頭線沿線で生まれ育ち渋谷駅、井の頭線ホームから玉電脇通り銀座線の時代から利用しています。大学出て渋谷は約20年勤めたので現井の頭線ホームが移動してマークシティーのエスカレーターできる前の階段と途中の本屋、トイレが懐かしいですね。先月まで銀座天賞堂で勤めていましたが定年退職したのでホーム移転で銀座線への乗り換えがどうなるか、見届けられませんでした。

katsu さんのコメント...

Nakaoさん
コメントありがとうございます。
この井の頭線渋谷駅の戦後風景は、1960年に連絡橋と井の頭線渋谷駅ビルが完成し、
暫く戦後風景と新しいものが混在していたような気がします。
私は1962年に通学でここ使っていたのですが写真がないせいか全く記憶に残っていません。
2000年のマークシティ-完成によりそれ以前の風景が記憶から消えてしまった感じがします。
長年お勤めで日々見続けた渋谷駅の風景が次々消えて行くのにとても寂しい想いではないかと思います。