案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、
地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を
回想してみました。
2018年3月18日日曜日
筑波鉄道が消えて31年(1)
1987年3月31日の真壁発最終上り列車をもって筑波鉄道が消え、
あれから31年が経ちました。ブログの「最後の筑波鉄道」シリーズは記事20本ほどになり写真が出尽くした感がありますが、ハイライト(再掲)と未公開画像をアップしてみます。
筑波鉄道と言えばこの1枚。 筑波 - 北条 1987.3.8
筑波山麓にこんな気動車も走っていた。キハ301 1987.3.8
廃線が迫る筑波駅 1987.03.22
とっくにマイカー時代になっていたが、鉄道を利用して筑波山へ向かう観光客で筑波鉄道も賑わいがあった。日本がバブル期に入った頃。国内の乗用車人気がピークを迎えた時代。
筑波駅
1987.03.22
2018年3月4日日曜日
竜ケ崎線の歴史をたどるパネル展示
関東鉄道竜ヶ崎線の歴史をたどるパネル展示が龍ヶ崎市内で開催されます。
3/6(火)〜25(日)まで龍ケ崎市内ショッピングセンターギャラリーにて2部構成で実施します。
龍ヶ崎市地域公共交通活性化競技会主催。企画担当:茨城県立竜ヶ崎第一高等学校。
2013年11月の記事「 竜ケ崎線の小さな旅」より
竜ヶ崎線唯一の中間駅 入地.1963.8.17
駅裏に干された洗濯物、どこまでも一面に拡がる田園など長閑な沿線風景があった.
元国鉄キハが待つ竜ヶ崎線佐貫駅の改札口.
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