田辺さんのネガに遺された磐越東線のD60と磐梯山麓の沼尻鉄道。旅は常磐線四ツ倉のC62「ゆうづる」から始まっていた。1966(昭和41)年夏の小旅行、まだ常磐線や磐越東(西)線の蒸機、そして沼尻鉄道が健在のよき時代であった。
撮影:田辺多知夫氏 1966.08.09
真夏の沼尻鉄道.
1967(昭和42)年秋に運転休止になる1年前、まだこんな沼尻らしい編成が走っていたのですね。この頃は磐梯急行電鉄になっていたのでしょう。
いかにも高原列車らしい雰囲気が.
素晴らしい真夏の沼尻デルタ線光景.
4 件のコメント:
まさに高原鉄道って言葉がピッタリですね!
こんな鉄道が復活してくれたら、どんなに楽しいものかと思ってしまいます。
これと軽便蒸気でもあればいうこと無しですね!
宵闇さん
「高原列車は行く」の唄がここで生まれたのが納得できます。
草軽の雰囲気と似ているような気がします。
磐越西線の蒸機とからめてもし軽便も走っていれば良い観光コースになるでしょう。
遠い先の時代にはそんな夢も実現しているかもしれません。
ご無沙汰しております。
写真を拝見して、沼尻の廃線跡を探索したのはいつだったかなと、調べてみたら17年前の事でした。
廃線跡を泊まりで訪問したのはここと草軽くらいで、確かに沿線の雰囲気としては似ている所がありますね。
私としては、磐梯急行電鉄という社名を聞くたび、もしもこの地に地方私鉄電車が走っていたらどんなだったろうと、ついつい妄想してしまいます。
H.Kumaさん
お久しぶりです。
沼尻廃線跡探索を17年前にされましたか。
私は13年前(2003年)に全線徒歩で探索しましたが、kumaさんと近い時期でしたね。
沼尻鉄道の遺構は少ないけど沿線で背後に見える山並み風景がそのままで楽しめました。
草軽の雰囲気は私は写真でしか知りませんが、高原と軽便の共通点から醸し出す共通点あったのでしょう。
沼尻や草軽の現役時代は何度訪問しても撮影は尽きない宝物のような存在であったと思います。
もし磐梯急行電鉄が存続していたとしたら、改軌されてどこかのように小田急お下がりロマンスカーあたりでしょう。
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