約2か月半の間、手間が掛からないfacebookでちょっと気分転換したことがありましたが、投稿が川の流れのごとく川下へ消え去ってしまうfacebookはブログのようには行かない、まあ両者の楽しみ方の違いでしょうか。
ところで、2ヶ月半も休止していたブログでは過去記事がよく読まれたようで、1日のプレビュー数が1000前後 維持されてきたのは、ほんとうにありがたいこと、感謝の気持ちで一杯です。
今日は学生時代に共に撮り歩いた田辺さんの命日、彼の「昭和40年7月北海道」シリーズとして雄別をアップしてみます。
撮影:田辺多知夫氏 1965.07.20
雄別鉄道 8721 前国鉄8721 汽車会社大2年製
6 件のコメント:
「白夜」という80年代の初めごろにNHKで放送されたドラマがあります。
古尾谷雅人氏主演でしたが、大学を卒業し炭鉱のある町に赴いた
医学生の話だった記憶があります。
当時大学生でしたので、一度行ってみたいなと思っていましたが
閉山後に鉄道が廃止になっていることや、町そのものが無くなりつつあり
野宿覚悟が必要だとわかってきたので、まあええわという気持ちに
なったことがあります。
白夜は渡辺淳一氏の自伝的小説ですね。
本人はインターン時代に雄別炭礦病院や、大夕張炭礦病院に勤務しています。
ねこあたまさん
美唄にまつわるそんなドラマがあったのですか、全く知りませんでした。
私は北海道のことは何も知りませんが80年代初めにそんなに寂れてしまったのですか。
写真の昭和40(1965)年はまだ蒸機が活躍していて活気があった時代ですね。
閉山で何もかもが変わってしまった。
ooyubari9201さん
白夜とはそういう小説でしたか。
小説の作者はインターン時代にこんな風景の雄別鉄道や大夕張鉄道に乗ったのでしょうね。
遅くなりましたが、再開ありがとうございます。
雄別鉄道の8700は、英国らしい優雅なスタイルが印象的ですね。
と言っても、オリジナルの英国製ではなく汽車会社でコピー製造された機関車でした。
奈井江専用鉄道には8850がいました。
こちらもオリジナルのドイツ製ではなく川崎造船でコピー製造された機関車でした。
後方に写っている気動車はキハ21の雄別鉄道版で台車がDT19でなく菱枠型だった点が特徴でした。
廃線後は、関東鉄道→筑波鉄道で路線廃止まで活躍しました。
三等急電さん
北海道の古典機については広田尚敬さんの写真集「昭和34年2月北海道」でいろいろと解説されていますね。
英国製とドイツ製のコピー機、歴史的にも凄い機関車がよくぞ北の地で動いていたものです。
8850形などはほんとうに優雅なデザインと機構の機関車で丸ごとコピーするしかなかったのでしょう。
その後の国産蒸機にはこの優雅さが消えてしまったような気がします。
雄別と筑波の気動車を付け合わせてみると面白そうですね。
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