案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年3月8日火曜日

仙北鉄道 北上川のほとり米谷

今でもどっちがどっち?よく間違える登米(とよま)と米谷(まいや)、終点の登米に対し米谷はスイッチバック駅。前に米谷をアップ済みですが再度取り上げて北上川との位置関係を推定してみました。米谷駅は町の中心部から少し離れたところで北上川のほとりに位置していたようです。

現在の道路に残る線路の道筋とS37年空中写真から推定した米谷駅の位置(訂正版)
コメントやメールでいろいろ情報を戴きありがとうこざいました。
赤ラインは概略であり線路配置図ではありません。

 米谷駅  1964.08.04
スイッチバック駅の奥行き止まり側から見た線路.

米谷駅本屋全景
部分拡大で見える駅の日常はジオラマの小道具ようだ。入口の郵便ポスト、夏休みの女の子、ベンチに休む客、たばこの看板、アイスクリームBox、小さな売店(今のコンビニ)、ストーブの長い煙突
登米からやってきた貨物が米谷の手前でカーブし
北上川のほとりの米谷駅に到着する.左にカーブした先に駅がある.
一関街道の砂利道と仙北鉄道の貨物輸送の対比.トラック輸送の時代がすぐにやってきた.


 瀬峰からやってきたディーゼルカーがホコリを巻き上げ北上川の土手の脇を走り、そして米谷に到着する.

瀬峰行き列車

 米谷でS字にカーブしゆったりと流れる北上川

北上川の土手を瀬峰へ向かう列車.土手の道路は石巻から北上川沿いに登米を経て一関に向かう一関街道.

7 件のコメント:

kak さんのコメント...

とても興味深く拝見しています。
駅の位置は、写真と、国土地理院の1962年の航空写真とを睨めっこしてみると、
もっと奥の方、一関街道寄りで、白山神社の真北あたりだと考えます。
駅のすぐそばまで山が迫っているからです。
そして、車両の写真、1枚目と6枚目の奥の上に見える大屋根の尖りは、
奥の台地の上にあった学校の、講堂の様なものの屋根に見えます。

katsu さんのコメント...

kakさん
参考情報ありがとうございました。
思い付きでラフに描いたものをアップし失礼しました。
その後、駅へ入るところにカーブがあるのに気がついて、
それらを織り込んだ駅の位置を作成しているところです。
ご指摘の件含めて訂正版と差し替えます。

kak さんのコメント...

katsuさん、ご意見容れて頂き誠に有難うございます。
今気づきましたが、5枚目の、混合列車の奥に駅の風景、の写真には、
奥に小さく、どんづまりの留置客車が見え、真正面を向いています。
つまり、合流地点の先で左にカーブし、更に右にカーブして駅に入るのだと思います。
すると、1枚目の空中写真においては、駅舎とどん詰まりへの線路は、少し下に下がり、林にぴったりひっついている、細長い空き地のところにあったのだと考えます。

katsu さんのコメント...

kakさん
2010年8月にアップ済みの米谷で使用した画像を3枚目に追加しました。
どんづまり側から見た線路で一直線になっています。
この直線が駅に入る小カーブにつながるように見えたのですが、
そうではなくて、ご指摘の通りで間違いないと思います。
駅に入るところで結構ややこしい曲がり方をしているのですね。
それにしても驚きました。よくあの貨物列車の部分拡大画像からどんづまりの留置客車を見つけたものです。
ここまで判るとアバウトではなく駅の正確な線路配置跡の探索が楽しめることでしょう。
米谷の細長い空き地に行ってみたいものです。

kak さんのコメント...

katsuさん、丁寧な御対応、誠に有難うございます。
田舎の方は、土地が余っているので、線路の敷地跡が更地で残っているケースも多いですね。
何か新たな痕跡の発見があろうかと存じます。

toshi さんのコメント...

初歩的な質問で申し訳ありません。

ホーム近辺に機回し線が見あたりませんが、客車や貨物を牽引してきた牽引車
はスイッチバックすると後押しで進行するのでしょうか?

katsu さんのコメント...

toshiさん
写真でお分かりのように機回し線はあります。
航空写真を使った1枚目は北上川と米谷駅位置の関係をみたもので、
線路配線図はとても描けないので略して直線にしてあります。
米谷駅の線路配置については現場メモが見つかりましたので後日掲載してみます。