日本の各地でまだカタコトカタコト走っていたのどかな時代。
こんなシーンに心のぬくもりを感じていただけたら・・・
今や死語となってしまった「軽便鉄道」を御婦人や若い人に説明するのに一体どんな言葉を使ったら良いのか? そこで浮かんだのが銀河鉄道(岩手軽便鉄道)であった。
イメージしてもらおうと使ったのが上の写真であった。
ところで、
花巻電鉄に岩手軽便鉄道の残党がいた!
旧岩手軽便鉄道 ト252. 遠くに東北本線花巻駅のD621の煙がたなびく.
EB61の隣の有蓋車も岩手軽便鉄道の残党か?
EB61+ワ4
参考文献: 鉄道ピクトリアル臨時増刊 「私鉄車両めぐり」第9分冊 花巻電鉄
参考文献: 鉄道ピクトリアル臨時増刊 「私鉄車両めぐり」第9分冊 花巻電鉄
4 件のコメント:
katsuさま 皆様はじめまして。
サイトの懐かしい雰囲気に惹かれてお邪魔させていただきました。よろしくお願いします。
「軽便」。なんとも懐かしい響きですね。私が撮影を始めたのは東京オリンピックの翌年で、世の中が慌ただしくなり始めたころでした。鉄道ピクトリアルの情報のみで現地を訪れてみると、だいぶ状況が変わっていて拍子抜けした記憶があります。
小学生の夏休み、近所の遊び仲間の実家に泊まりがけで遊びに行った時に乗った仙北鉄道が唯一の「軽便」の思い出です。後に宮城バスという味気ない名前に変わり、大きくて厳しい社紋も当時流行りのモダンなものに書き換えられました。それでも地元の人たちは仙北鉄道のことを「軽便」と呼んでおり、また「せんぼく」ではなく「せんぽく」とも。
写真の有蓋車は鉄道線「ワ4」の廃車体です。長い間EB61と一緒に留置されていて、東北本線の列車から見ることができました。
#9999さん
コメントありがとうございました。
私は修学旅行で北海道へ向かう途中、瀬峰駅で初めて仙北鉄道の本物の軽便を見ました。小さな木造客車とツートンカラーに強烈なシヨックを受け、今でも忘れる事ができません。地元では「せんぽく」と呼ばれていたのでしたか、私は今まで「せんぼく」と読んでいました。
写真の有蓋車は鉄道線のワ4の廃車体でしたか。助かりました。
花巻電鉄は線路が繋がっている鉄道線と軌道線で同じ形式・番号が使われるので厄介ですが、今回のワは鉄道線ワ1形で軌道線ワ1形とは全く異なりますね。
元岩手軽便鉄道を期待したのですが有蓋車には居ないようですね。
私の少年時代は、花巻・仙北・栃尾・頸城・駿遠・井笠…と、相次いで「軽便」が消えて行ったのを見送っていた頃でした。以前にも書き込んだ「駿遠」などは、一度は乗ってみたいと思った頃にはもう消えていたのでした。仙北鉄道の終点だった登米は、明治時代の学校や蔵などが残っていて、「宮城の明治村」の異名もある味わいのある町並みがあり、私も10年余り前に一度訪れ、当時は登米駅の駅舎がバスターミナルの建物として残っていたのですが、その後程なくして取り壊されて跡形もなくなったようです。結局、私が乗ったことがある「軽便」は、一応は地方鉄道扱いになっていた「西武園のおとぎ列車」と、現役で電化路線である近鉄内部線、北勢線(近鉄時代と三岐に転換後の2度)、それと黒部峡谷鉄道の4路線でした。
花巻電鉄の写真、その花巻東高校出身、日本ハムの「二刀流」大谷翔平君に見せたらどう反応するのでしょうか。ひょっとして「昔こんな電車が走っていた、と言う話をおじいちゃんから聞いた」と言うことにでもなるのでしょうか…。
伊豆之国さん
私が体験できた現役軽便鉄道は西武園や黒部を除き12社でした、草軽や九十九里はもう少し早熟であれば手の届くところでした。どの軽便鉄道も元気一杯の時代でしたが、その後の衰退はあっという間でした。軽便だけでなく懐かしいものが何もかも消えた時代だったようです。
今の若い人に昔の花巻電鉄の写真を見てもらってもきっと余りの無反応にシヨックを受けます。軽便への関心は鉄道ファン以外の年配者やナロー模型ファンくらいではないでしょうか。
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