案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年6月6日木曜日

玉電大橋車庫の電車2

大橋車庫で建屋が写っている画像二点は以前使用済で、今回 拡大画像にしてみました。

大橋車庫の全体.1962.12.07
左に2連の第一車庫、中央に車輪工場、右手に2連の第二車庫?が見える.

2連の第一車庫とその脇を留置線が奥へ延びる.

70形(71) 両端ドアの2枚引き戸が改造前の姿. 
第一車庫を抜けた奥の留置線.

70形(72) 車輪工場の前.

70形(73)  第一車庫の左手にはカマボコ屋根の建屋が連なる.

参考: 砧線の60形 二子玉川園 1962年12月
外観で70形とは窓数や両端の引き戸周りが異なる.

80形(106)   右手にカマボコ屋根が見える第一車庫の裏側.

80形(93) 車輪工場の脇.

第二車庫の電車の背景に見える変電所?の建屋.

この車庫の跡地が大橋ジャクションとなる→玉電風景 大橋の今と昔

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

ラストのお写真に写ってるのが、正に変電所です!アールデコ?風のデザインでした。回転変流器があった場所で金髪ねーチャン撮影したのはもう30年以上前の事です。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
30年以上前という事は大橋車庫が閉鎖されてからですね。
こんな遺構で、しかも由緒ある?元変電所建屋で、
仕事で女性を撮影したとは面白いお話。
是非とも今昔日記に昔話しを書いて下さい(笑)

Cedar さんのコメント...

前回も書きましたが、大橋がバスの車庫になってから、あの変電所の建物は当然不要になって、TQ系列の広告会社の撮影スタジオになったのでした、建物の構造上柱がなく、天井も高く、大きな開口部もある、ということで転用されたのだと思います。
芝浦や鶴見あたりの工場や倉庫でも、スタジオになったものがいくつかあります~全くの偶然ですが、拙ブログの次回はそんなお話の予定でした。

katsu さんのコメント...

Cedarさんの今昔日記を楽しみにしています。