案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年5月18日木曜日

昭和38年 上野駅の風景

昭和38(1963)年の上野駅といえば、写真家 本橋成一氏の「上野駅の幕間」1979~1982年から更に16年以上も昔の上野駅ということになります。時代をさかのぼってもあの「上野駅の幕間」の風景はあまり変わっていないようです。上野駅の風景は宝の山であった。

上野駅 1963年3月16日 撮影:田辺多知夫氏



6番線からC58の客列車が発車する.成田線でしょうか.


6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

上野駅の幕間~いい写真集ですね、未だにたまに本棚から出して眺めてます

katsu さんのコメント...

Cedarさん
写真集「上野駅の幕間」をお持ちでしたか。
この写真集は小ぶりなサイズでよけいな言葉が入っていないですね。
上野駅発の夜行列車に何度も乗ったのに私は当時の上野駅を一枚も撮っていません。
あの時に駅を撮る意識があれば今頃どれだけ楽しめたことでしょうか。

esehoku さんのコメント...

「上野駅の幕間」は知りませんでしたが、なんとも懐かしい風景ですね。
個人的には夏の帰省ラッシュが思い出されます。
蒸し暑い中(とはいえ、今の暑さと性質が違っていたと思いましたが)、ホームに新聞紙を敷いて夜行の急行を待ったものですが、タバコの匂い、弁当の匂い、ワンカップやツマミ(もっぱらサキイカ)の匂いなんかが渾然一体としていた、あの猥雑さが上野駅だと、子供心にも感じていました。
冬は冬で、電気機関車の牽引する旧型客車と、立ち上る暖房の蒸気…EF57とかEF58なんて千両役者が揃っていましたね。

katsu さんのコメント...

esehoku さん
上野駅、ほんとうに千両役者の列車がそろっていましたね。
でも何も撮らなかった、ましてや上野駅ホームの光景など1枚も撮らなかった。悔しい想いです。
当時の上野駅光景が数十年後の今、まさかこんな想いになるとは夢にも思いませんでした。
さらに10年20年経てば益々その思いは強くなることでしょう。

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
『上野駅の幕間』を初めて見たときには衝撃を受けましたが、こちらのお写真にも同じ感覚を持ちました。私が知る上野駅は既に新幹線が通った後ですが、それでも、年々風情が薄れていくように感じていました。お写真の時代にリアルな上野駅を体験できたとしたら、きっと、そんなレベルではない今との違いを感じることになるのでしょう。
お写真からエネルギーが伝わってきます。人間臭くもあり、遠くへ旅するときの拠点の駅だからこその、人が入り混じり、あれこれ雑多に様々な列車が発着する様子、どのお写真にも見入ってしまいます。
時代が変わっていることを承知の上で、今度、上野駅をゆっくり見て回りたくもなりました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

katsu さんのコメント...

風旅記さん
いつもコメントありがとうございます。
写真集「上野駅の幕間」を見ましたか。私も凄い衝撃と悔しさを思い知らされました。

私は25年前くらいから10年ほど宇都宮線(東北線)で都内まで通勤していました。
よく帰宅時に13番ホームや夜遅い電車が懐かしいです。
ところがそれが今や湘南ラインが登場し13番線はすっかり変わってしまった。
帰りの上野発の車内飲みのマナーも今はすっかりよくなったと想像します。
こんな最近? のことでも消えてしまう上野駅の光景。
私は何一つカメラを向けることはありませんでした。

上野駅を写真にする題材はいつの時代でもあったんですね。
もしかしたら今の時代でも題材はあるかも知れません。
何も遠方のお立ち台へ行かなくても駅には人間臭い題材が豊富ですね。
昔と違って撮るのが大変に難しいですけど。