取り上げて頂き誠に有難うございます。貨物列車が勾配のある路面を下りて来る写真は、とても珍しく、日光軌道ならではの写真ですね。これとは別に、日光駅の貨物連絡線がどの様な配線で国鉄と繋がっていたか、資料や画像を色々と探していますが、これは今のところ見当たりません。
kakさん写真の謎解きは正解不明でいろいろ調べている時が楽しいものですね。山岳路面電車日光軌道線を走る貨物列車は愉快な風景です。街中を行く貨物列車と日光駅で国鉄とつながる貨物線の経路を取り上げてみようと思います。
いつも興味深く拝見しています。1957年に撮影された日光軌道線のこの場所の写真が、J.W. Higginsさんの『発掘カラー写真昭和30年代鉄道原風景 路面電車編』の46-47ページに掲載されています。この写真には、1967年の写真でED611のパンタグラフ越しに見える建物がちょうど建設中なのと、1963年の写真の遠景に見える三角屋根の建物の両方が写っています。1963年と67年の間に軌道と川の間の部分の道路が拡幅されて歩道も設置され、欄干の位置が変わったので風景が一変してしまったように思います。
tachikawa さんコメントありがとうございました。早速この本を確認してみたいと思っています。工場引き込み線跡と思っていた1枚目の写真は下河原に間違いないようです。1枚目の写真(1963年)を撮った位置が旧線分岐点に近く、道路沿い右手の建物が入ってなかったのですが1963年にはこれらの建物はできていた事になりますね。旧線が分岐していたY字路にかたまった建物は、1963年には全く姿無かったのですがその後の道路改修で一気に建てられたのでしょう。それにしてもこの4年ちょっとでよくここまで変貌したものですね。日本各地の道路が急速に変貌し始めていた時代だったのでしょう。
tachikawa さんJ.W. Higginsさんの『発掘カラー写真昭和30年代鉄道原風景 路面電車編』を見ました。確かにここに掲載された1957年撮影の写真で背後に工事中のビルが写ってますね。当然ながら1963年に撮った道路端を走る線路と道路などが同じでした。ここは下河原であると判明すると、今度は線路跡があった旧線のことがとても気になります。この先の公会堂駅へ向けてクランク状に進む軌道を国鉄貨車の列車はどうやって進んだのか?昭和19年に開始された国鉄貨車の乗り入れと元アプトED電機の入線に当たり下河原~公会堂間が新経路になったのでしょう。
もし日光軌道線が廃止にならず、今でも存在していたらどんな路線になっていたのかと思う時があります。恐らくLRT車両が導入されて路面電車で日光の観光名所を巡る旅なんてツアーが東武鉄道で企画されていたのかなあ~なんて思ってしまいます。
宵闇さん私もよくそのことを思います。今では貨物列車はありえないでしょうが観光の足として日光名物として路面電車は受けると思います。東照宮あたりの観光なら路面電車が便利だし路面電車そのものが人気出ると思います。日光軌道線が廃止になる頃、廃止賛成の理由として電車もオンボロだし貨物列車が通るのは観光都市としてふさわしくない、なんて意見があったそうです。今では価値観が大きく変わりましたね。
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7 件のコメント:
取り上げて頂き誠に有難うございます。
貨物列車が勾配のある路面を下りて来る写真は、とても珍しく、日光軌道ならではの写真ですね。
これとは別に、日光駅の貨物連絡線がどの様な配線で国鉄と繋がっていたか、資料や画像を色々と探していますが、これは今のところ見当たりません。
kakさん
写真の謎解きは正解不明でいろいろ調べている時が楽しいものですね。
山岳路面電車日光軌道線を走る貨物列車は愉快な風景です。
街中を行く貨物列車と日光駅で国鉄とつながる貨物線の経路を取り上げてみようと思います。
いつも興味深く拝見しています。
1957年に撮影された日光軌道線のこの場所の写真が、J.W. Higginsさんの『発掘カラー写真昭和30年代鉄道原風景 路面電車編』の46-47ページに掲載されています。この写真には、1967年の写真でED611のパンタグラフ越しに見える建物がちょうど建設中なのと、1963年の写真の遠景に見える三角屋根の建物の両方が写っています。
1963年と67年の間に軌道と川の間の部分の道路が拡幅されて歩道も設置され、欄干の位置が変わったので風景が一変してしまったように思います。
tachikawa さん
コメントありがとうございました。
早速この本を確認してみたいと思っています。
工場引き込み線跡と思っていた1枚目の写真は下河原に間違いないようです。
1枚目の写真(1963年)を撮った位置が旧線分岐点に近く、道路沿い右手の建物が
入ってなかったのですが1963年にはこれらの建物はできていた事になりますね。
旧線が分岐していたY字路にかたまった建物は、1963年には全く姿無かったのですが
その後の道路改修で一気に建てられたのでしょう。
それにしてもこの4年ちょっとでよくここまで変貌したものですね。
日本各地の道路が急速に変貌し始めていた時代だったのでしょう。
tachikawa さん
J.W. Higginsさんの『発掘カラー写真昭和30年代鉄道原風景 路面電車編』を見ました。
確かにここに掲載された1957年撮影の写真で背後に工事中のビルが写ってますね。
当然ながら1963年に撮った道路端を走る線路と道路などが同じでした。
ここは下河原であると判明すると、今度は線路跡があった旧線のことがとても気になります。
この先の公会堂駅へ向けてクランク状に進む軌道を国鉄貨車の列車はどうやって進んだのか?
昭和19年に開始された国鉄貨車の乗り入れと元アプトED電機の入線に当たり下河原~公会堂間が新経路になったのでしょう。
もし日光軌道線が廃止にならず、今でも存在していたらどんな路線になっていたのかと思う時があります。
恐らくLRT車両が導入されて路面電車で日光の観光名所を巡る旅なんてツアーが東武鉄道で企画されていたのかなあ~なんて思ってしまいます。
宵闇さん
私もよくそのことを思います。
今では貨物列車はありえないでしょうが観光の足として日光名物として路面電車は受けると思います。
東照宮あたりの観光なら路面電車が便利だし路面電車そのものが人気出ると思います。
日光軌道線が廃止になる頃、廃止賛成の理由として電車もオンボロだし貨物列車が通るのは観光都市としてふさわしくない、なんて意見があったそうです。今では価値観が大きく変わりましたね。
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