この側線の先を右へカーブしたところは一体どんなであったのか。宵闇さんがネットで調べて教えてくれた凄いサイトによると、そこには映画館「用賀新東宝」、用賀ストア、大衆食堂、床屋があり、ガレキ広場の先で引き込み線が終わっている画像(映画のロケ地)が出てきた。
航空写真もあって、それによれば引込み線の終端は今の世田谷ビジネススクエア(高層ビル)辺りになる。現在の田園都市線の用賀からは想像もつかない用賀駅前があったのですね。
当時の玉電用賀駅にはちょっとした引込線があり路面電車の単調な駅に変化を与えていた。この頃の路面電車の存在は人々の生活に密着していたのでしょう。
引込線が右へカーブしていく。側線はホーム脇まで延びていて子供達の遊び場になっていた。1969.4.22
上の写真の踏切を渡ると木立の脇をカーブし併用軌道(大山街道)に入る。1965.7.27
現在の用賀駅前。 2015年4月
桜新町を過ぎ専用軌道区間の坂を下ると用賀に到着する。 1969.4.22
左にホーム脇まで延びた側線が見える。
夏の日の用賀駅 1965.7.27