2019年5月3日金曜日

西武山口線オトギ電車と鉄連コッペル

西武山口線は頸城と井笠のコッペルが入線して何回か撮りに行くようになったが、子供の頃から走っていたオトギ電車を撮ったのは唯一この写真1枚だけであった。
この時は入間川の元鉄連コッペルを再び撮りに行ったときの帰りで、たまたまやってきたのがオトギ電車であった。頸城2号蒸機が入線し山口線が注目される2年前のことであった。

1972(昭47)年06月03日 頸城鉄道2号機「謙信号」の運行開始
1973(昭48)年07月05日 井笠鉄道からの木造客車が配属開始
1977(昭52)年09月23日 頚城井笠の蒸機に代え元台湾糖業公司の蒸機5型2両の運行開始
1984(昭59)年05月13日 山口線さよなら運転

 
昔ながらのオトギ電車(バッテリーロコ+1形客車) 1968.7.14
「おとぎ電車」に対し「おとぎ列車」の呼び方もあるが蒸機入線から使われたのだろう。

兄が撮影した山口線おとぎ電車さよなら運転 1984年5月
オープンな1形客車で楽しそうな子供たち。

そして家族で楽しんだおとぎ列車(台湾コッペル) 1980年3月

一回目の入間川訪問はこちら→ 安比奈の鉄連コッペル

泥と雑草にまみれた西武3号機(元鉄道連隊E103))と2号機(E16) 1968.7.14






6 件のコメント:

  1. おとぎ電車=西武山口線が今残っていたらよかったと今でも思います。
    拙ブログにも記事があります。https://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-10-11

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  2. Cedarさん
    ほんとうに今も走っていたらと思います。
    本物のコッペルが本物の木造客車を牽いて走る貴重な光景をまじめに撮らなかったのを今頃になって後悔しています。
    あの信玄号、謙信号のプレートによる遊園地ムードに私は真剣になれなかった。
    貴ブログにあったバッテリーロコ時代の記録は貴重ですね。自分のユネスコ村遠足を思い出します。

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  3. 私も幼稚園の遠足で、かつての「おとぎ電車」に乗りました。客車が開放的で、園児一同も付添いの父兄にも大好評でした。この山口線が実は地方鉄道であり、後にSL列車が走るとは思ってもみませんでした。現在のAGT化された山口線は大赤字とのこと。いっそまた「おとぎ電車」に戻してみたら?などと思っています。ここで思い出すのが、オーストラリアのメルボルン郊外にある「パッフィンビリー鉄道(Puffing Billy Railway)です。これはご存知の方も多いと思いますが、軌間762mmの狭軌路線で、有数の蒸機保存鉄道です。ここには3つの特長があり、①本格的に蒸気機関車を運行、②大都市近郊にありながら自然環境が豊富、③客車が開放的で大人にも子供にも大人気です。これは子供時代に同鉄道に乗車経験を持つ人が、大人になって自分の子供たちを連れて来て、またその子供たちが同鉄道の虜(とりこ)になる…という好循環を生み出しているようです。西武山口線沿線も、水源地という沿線制約はありますが、自然条件は豊富です。ここに本格的な蒸機軽便鉄道を復活させたら…。などと思わず考えてしまいました。ささやかな夢を見させていただき、ありがとうございました。

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  4. 匿名さん
    コメントありがとうございました。
    ナローの蒸機保存鉄道Puffing Billy Railwayはテレビで見たことがあります。
    ここの3つの特長を生かした西武山口線が復活したらどんなに楽しいか、全く同感です。
    将来は日本も海外保存鉄道のような豊かな文化が少しでも育っていくのではないでしょうか。
    西武山口線の蒸機列車を家族で楽しんだ時の写真を思わず貼ってしまいました。
    かけがえのない家族のこの時期を大切に、が今では当たり前になったものです。

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  5. katsu様 
    安比奈の採取場近くで撮影されたeタンク他、鉄連の車両達の写真は本当に貴重な資料となりましたね。私も
    以前同地を訪れたのですが、現在でもそれぞれの地点が特定できるほど、そのムードが残されていました。
     又、御家族と共に撮影された527号機なのですが、頸城等のロコに比べ地味な存在であったとはいえ、下方へ絞られた煙突や、妻板中央に開けられた窓等、1430辺りにも似通った如何にもドイツ機らしい魅力を感じます。

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  6. transitさん
    安比奈は情報が十分でない時代に友人に誘われて撮影に行けてラッキーでした。
    今の情報溢れる時代だったら現地はファンで大変な騒動になっていた事でしょう。
    山口線の2両の台湾コッペルは確かに地味な存在でしたね。
    私も関心が薄くて廃線後に遊園地内のレストランに保存されているのにすら関心がなかったです。
    同じコッペルでも、井笠と頸城のコッペルの魅力があまりにもインパクト強過ぎたせいかも知れません。

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