2026年6月7日日曜日
真夏の淡路 宇山駅
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「真夏の淡路 宇山駅」 洲本駅を発車した電車は民家の裏手をかすめるように走り、洲本川を渡り左へカーブするとほどなく宇山駅に到着した。 駅の待合室の壁には、島まつり案内や、「ご利用のみなさんへ」迫りくる廃線に関する紙面が貼られていた。 洲本行のホームでは子ども連れの家族が電車を待...
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2026年6月3日水曜日
里山風景
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「里山風景」 軽便鉄道の築堤の下に、一軒の民家がひっそりと建っている。庭先には洗濯物が干され、暖かい春の日差しを浴びていた。 当時、浜松郊外に自然豊かな里山があった。やがて各地で繰り広げられたのと同様に、丘陵は削られ、広大な宅地へと姿を変えていった。昭和30年代は、都市近郊にそん...
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2026年5月30日土曜日
2月終わりの庄内砂丘
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「2月終わりの庄内砂丘」 丘に登り松林の向うに穏やかに開けた日本海を眺めると、早朝から撮り歩いて来た岩場が続く暗い日本海とは違って、優しい雰囲気を感じる海岸線だった。 ハーフ判モノクロ画像をカラーにしてみると、海辺の湿度感、砂丘、二月の終わり、小さな電車、曇天の海などの色が効いて...
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2026年5月29日金曜日
築館線の残照
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「築館線の残照」仙北鉄道 1964年夏 鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。 そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。 この写真は仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の...
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2026年5月27日水曜日
「ディスカバード・ジャパン」 鉄道沿線に見るこの国の姿、今昔。
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著者 大木茂さんが十年掛けていたのはこの本だった。16歳から日本各地の鉄道を撮り歩き、十年かけて記録した風景。その半世紀後、再び同じ場所に立ち、失われた線路や変わり果てた街並みを十年撮り続けた。 車で全国を巡りながら、十年を費やしてまとめ上げた「日本の今昔」。それは単なる鉄道写真...
2026年5月25日月曜日
京都市電 京大吉田寮
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「京大吉田寮と市電」京都市電 1969年正月 記憶から消え行くあの時代の空気感。 電停近衛通の向こうに見える吉田寮。写真は学生寮の問題に端を発し京大全学的紛争へと発展する直前だった。この時に吉田寮生で2回生だった方からのコメントでそれが分かった。 これから大変な時代を迎える昭和4...
2026年5月20日水曜日
雪の湯野町
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「雪の湯野町」福島交通軌道線 1966年12月 飯坂温泉の街外れ湯野町を発車した電車は、 雪が残る家並みの間の専用軌道を走って、 伊達駅前へ向かって行った。 (不鮮明なハーフ判カラー画像をAIで鮮明化) 福島交通軌道線の難解なツートンカラーは私の記憶にはない色で、様々な情報からこ...
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2026年5月19日火曜日
記憶にある色を求めて 能登線
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北陸鉄道 能登線 1962年夏 1962年夏、何がいるのか行ってみないと分らなかった能登線。分かっていたのは時刻表の情報だけ。能登線のカラーリングの根拠はノートにあったメモによる。福島交通軌道線、沼尻と同様に窓下が微妙な青緑カラーで、正に昭和30年代らしいカラーリングであった。...
2026年5月16日土曜日
記憶にある色を求めて 法勝寺電鉄
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日の丸自動車 法勝寺電鉄 1962年夏 1962年夏、国鉄時刻表にあった「日の丸自動車・法勝寺電鉄」を頼りに山陰本線米子駅に降り、米子駅の地下道をくぐり反対側に出ると、「日の丸自動車㈱電車部米子市駅」の看板を掲げた駅があり、木造電車が朝一番の発車を待っていた。朝日を浴びたツートン...
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2026年5月11日月曜日
さいわい橋
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「さいわい橋」 福島交通軌道線 1966年 雪の川を渡る電車は、 年の瀬の光の中を走っていた。 山は遠く霞み、 木橋の匂いまで 冷たい風に混ざっていた。 使い物にならなかった不鮮明なハーフ判カラー画像がAIで蘇った。 福島では「 記憶にある色を求めて」の車体カラーの検証ではな...
2026年5月8日金曜日
オリンパスペンで撮ったカラー画像が蘇る
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今回は、単なる「モノクロの色付け」ではなく、オリンパスペンで撮った不明瞭なカラー画像を生成AIで鮮明化してみると、これは驚いた59年前の記憶の空気感まで戻ってくる。 島原城から見下ろした瓦屋根の街並み、遠くに広がる有明海、その向こうに浮かぶ熊本。 1967.3.3 今回の調整は...
2026年5月6日水曜日
夕暮れ時の尾道
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「夕暮れ時の尾道」 山陽本線尾道駅のホームが帰宅客で賑わいはじめた夕方、駅の地下道を進むと、背後に山が迫る狭い一角に「尾道鉄道のりば」があり、小さな2面のホームに電車や客車が休んでいた。 尾道の街に灯りが燈り始める頃、 電車は発車して行った.1962.7.30 尾道鉄道 ...
2026年5月3日日曜日
夏の松本駅前
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「夏の松本駅前」松本電鉄 浅間線 1963年7月 夜行列車で松本に着いたのは、まだ夜明け前のことだった。静まり返った駅前に立ち、これから始まる一日を思いながら歩き出す。 沿線をあちこち撮り歩き、再び駅前に戻ってきた頃には、夏の陽はすっかり高く昇り、街はもう昼の顔になっていた。古び...
学校前の急カーブ
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「学校前の急カーブ」 砂利道の併用軌道を、埃を巻き上げながら木造電車がやって来る。 十分に速度を落とし、急カーブに差しかかると、 ギィギィと音を立てながら直角に曲がって、松本駅前へ向かっていった。 正面の高校では、生徒たちが大掃除に追われている。 明日から夏休みなのだろうか、...
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2026年4月29日水曜日
記憶にある色を求めて 尾小屋DC121
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昭和30年代の地方私鉄独特なカラーリングの中で、今回のカラー化は尾小屋、沼尻、松本浅間線などの奇妙で曖昧な色を出すことが主目的であった。この路線に限らず昭和30年代の地方私鉄の奇妙な色はその殆どが昭和40年代に塗り替えられて、消滅してしまった。 その一つ尾小屋DC121が赤系にな...
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2026年4月26日日曜日
記憶にある色を求めて 北陸鉄道能登線
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1962(昭和37)の北陸鉄道能登線も昭和30年代らしいカラーリングで、北陸鉄道の標準色(クリーム/朱色)になる以前は、こんな昭和30年代らしい色であった記憶がある。決して朱色の能登線ではなかった。 記憶の裏付けとなるカラー情報はネットや書物に見つからず、やっと見つけた訪問ノート...
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2026年4月19日日曜日
秩父鉄道SL列車と、63年前のC58 363
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先日、秩父鉄道SL(C58363)列車で熊谷から三峰口まで乗ってきました。 会社OB達との旅は、毎度飲み食い主体の飲み鉄であり、改めてSLと西武特急ラビューを撮りに行きたくなる絶好の季節であった。それにしても新緑の野山が美しかったこと。 撮影:2026.4.18 新緑を背にSL...
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2026年4月8日水曜日
記憶にある色を求めて 沼尻鉄道 (その1)
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モノクロ写真の生成AIによるカラー化。 AI任せでは色が出ない昭和30年代の難解色の代表が尾小屋DC121、浅間線、沼尻。 沼尻のカラー写真の事例がネットに多々あるが、その多くは模型のカラー写真。 書物の印刷でイメージに近いのが機芸出版社「軽便探訪」の表紙くらいであった。 青でも...
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2026年4月1日水曜日
奥羽本線 糠ノ目駅
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3月初めの小雪が舞う日 ホームで列車を待つのは、 山形交通 高畠線からやってきた乗換え客。 厚い外套、手袋、長靴を履いた足元。 子どもを連れた人、荷物を抱えた人。 やがて煙が近づく気配で、線路の先を見る。 列車が到着すると、決まったように乗り降りしていく。 どこにでもあった、乗換...
2026年3月30日月曜日
井笠ホハ10と三度目の出会い
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写真は1年前の3月30日に関水本線(関水埼玉工場)で撮影した元井笠ホハ10。 西武山口線仕様34号として見事に復元された。 井笠ホハ10の経歴 ①井笠鉄道での現役時代 ②井笠鉄道廃線後、西武山口線で使用され、 その後、西武遊園地でレストラン列車として使用される ③関水本線で山口...
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