2024年8月1日木曜日

奥山線 金指の立体交差

2回目に奥山線を訪問したのは2グループが現地合流した5人での撮影であった。
この日おおよその行動は一緒だったが、撮影は思い思いのポイントにバラバラに散って撮るので、RMライブラリー10巻「追憶の遠州鉄道奥山線」に発表した5人の写真以外は誰が何処で何を撮ったのか今もよく分からない。

このメンバーで唯一分かるのは故田辺さんで、彼が学生時代に撮影した画像は一式お借りしているので、この日の奥山線撮影で意外なことが分かった。
彼はこんなところで撮っていたのか! の一例が金指の立体交差であった。 

この日、5人は井伊谷の宿を朝早く出てバスで金指へ向かった。
私が井伊谷~金指間の磐城(住友)セメント専用線に気を奪われていた頃、
田辺さんは金指の立体交差の上から朝の二俣線を狙っていた。
二俣線の列車は金指発6:43の豊橋行と思われる。

撮影:田辺多知夫氏 1964.3.24

朝日を背に二俣線金指駅を発車した列車


右手に奥山線の線路が見える.


立体交差を過ぎ去って行く列車.腕木式信号機がとても印象的.


そのあと、奥山線が立体交差の勾配を登ってきた.


二俣線を越えて勾配を下ると金指駅に到着する.


この時の撮影メンバー.撮影は田辺氏

3 件のコメント:

  1. 最後の、駅(曳馬野?)で談笑している青年のどなたかがKATSUさんなんですか?かつて私も友人と撮影に行った時、次列車待ちの時間潰しに同じようなことをしていたことを思い出しました。今どきいくらローカルでも線路に降りてこんなことをしていると、「マナーの悪い鉄道マニア」と言われてしまいますよね。

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  2. U-BOATさん
    私も24年前に立体交差の遺構を見ました。
    撤去されたのはそれほど昔ではないよう気がします。
    Googleで見るとすっかり消えていますね。


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  3. 鹿部電鉄さん
    写真の一番右が私です。
    今では絶対にこんな構内に入れてくれませんね。
    何とのどかな時代であったか。
    撮影の許可をとれば、どこの現場でも入れてくれて
    注意されたような事はまずありませんでした。

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