2024年7月31日水曜日

遠州鉄道 消えた気賀口~奥山間

私が見ることができた1962年以降の軽便鉄道で人気の沼尻、頸城、井笠、尾小屋は多くの書物で言い尽くされた感じがする。早くに消えた西大寺を除くと仙北、駿遠、奥山、花巻となるがこの中で紹介が少ないのは奥山線の非電化区間(曳馬野~奥山)で、今でも切り口がいろいろと楽しめる。



昭和38年に消えた廃線区間(赤)




1963(昭和38)年4月に部分廃線になる前、気賀口の先の急カーブで北へ方向を変え神宮寺川沿いに山間を奥山へ向かっていた。


気賀口  1963.4.4

2024年7月23日火曜日

島原鉄道

300年の歴史がある「島原手延べ素麺」が生まれた土地は島原半島南部の西有家町須川。

古い線路図で見ると2008年に島原鉄道の部分廃線で消えた島原外港(現:島原港)~加津佐間に西有家の駅があった。その先が島原の乱の原城遺構がある南有馬。有明海の向こうは天草。

世界遺産の南島原を海沿いに走っていた島原鉄道の廃線区間。どんなに素晴らしい南島原の鉄道風景だったことだろうか。


島原手延べ素麺.南島原市西有家町


昭和27年 鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)


撮影:1967.3.3
島原の街. 


島原城から有明海を望む.


島原鉄道 島原駅.


島原外港を発車した列車は加津佐へと向かう.

当時は島原外港から三角港に渡り、三角から国鉄三角線で熊本へ出るコースだった.

2024年7月17日水曜日

4年前の思い出 TMS連載記事(鉾田線)

facebookでは数年前の今日が思い出として現われる。
今日は4年前2020年7月17日にfacebookに投稿した記事が現れてあの頃が思い出された。

TMS誌2020年8月号に掲載した鉾田線の原稿に取り組んでいた2020年5月は、東京の非常事態宣言が解除されて少し出歩けるようになった頃。月刊誌連載が3年も続けられたのはコロナ禍の外出制限のせいだったかも知れない。

2020年7月17日にfacebookに投稿したTMS誌記事「霞ヶ浦湖畔 桃浦」

以下は記事に載せなかった車両写真 撮影:1966.8.28

旧東横のキハ42202と42201 石岡機関区


旧東横のキハ42201。石岡機関区


石岡駅で発車を待つキハ201。

2024年7月6日土曜日

竜ヶ崎線の客車

竜ヶ崎線 竜ヶ崎駅で見たガソリンカー崩れの客車2両。
1962年3月には使われていたが、その1年後には使われていた様子がなかった2両。 
急速に鹿島参宮鉄道のイメージが消えゆく時代であった。

撮影:1963.8.17

キハ102とハフ15

昭和6年松井車両製 片ボギーの元ガソリンカー ハフ15



ハフ15の車内


エンジンを外されトレーラとして使われていたキハ102(日車製 茶色) 1962.3.29

1年後のキハ102は既に客車として使用されていなかった様子.

2024年7月2日火曜日

銚子電鉄の元京王5000系


デハ3001+クハ3501  仲ノ町  2024.6.25

先日の銚子で活躍していた元京王5000系は、そう言えば京王線に初代5000系デビューした時に試乗したのが1963年8月であった。あれから60年、京王線から伊予鉄道へそして銚子電鉄へと今も稼働しているのが凄い。


1963年8月4日の京王線600V→1500V昇圧化を機に運転開始された特急初代5000系.
デビューした4両固定編成の5000系と2両固定編成の5070系があり、試乗して高幡不動に向かったのは8月11日であった.この2両固定の5070系がその後地方へ転出した。


京王線に初代5000系がデビュー、写真は4両固定編成の5000系.高幡不動 1963.08.11



旧型車2連と組んだ2両固定の5070系、この5070系が伊予鉄道に譲渡され更に銚子電鉄へやってきた。高幡不動 1963.08.11

京王線にアイボリーカラー初代5000系がデビューした1963年夏の同じ頃、銚子電鉄にこんなのどかな風景があって、今もあの時代ののどかさは変わっていない。

ハーフ判カメラで撮ったポール電車.

君ヶ浜の先で左に灯台を見て外川へ向かう電車.1963.6.30