爽やかな朝の陽を浴び、電車スタイル踏襲のキハが客車1両を牽いてラッシュ時に活躍していた。今の時代に思うのは、あの貧しい時代の日本でも何か元気を感じるものがあった。
撮影:1964.3.24
国鉄二俣線のC58と並んだキハ。廃線後 花巻電鉄へ行った悲運のキハ。
こんな小さな気動車一両に車掌さんが乗っていた。それが当たり前だった時代。
金指駅を発車した遠鉄浜松行キハ。
前方に停まっている小さなクルマが気になりました。もしやあの軽便探訪の著者 新井清彦さんの愛車三菱コルト600では? でも新井さんは1966年に草軽の模型で軽便に目覚めたそうで、1964に奥山線を撮っている筈がありませんね。
尾小屋の1803はいなかったのですか?
返信削除にぶろくさん
返信削除1803は奥山線の廃線までいました。
こんにちは。
返信削除前にも奥山線の事でコメントさせていただきました。私はもともと福岡県出身でした。昭和63年の夏に大学のクラブの大会で浜松に来た時に奥山線の跡地を少しだけたどりました。奥山線廃線記念切符は郵送で購入していたから、四村の駅舎が残っているのは知っていました。
奥山行きの遠州鉄道のバスで四村付近で下りて駅舎を眺めました。軽便鉄道ならではの小柄な駅舎が印象的で、それを所有している人も羨ましく感じました。
現在は旧車バイクに興味が移っていまして、当時の四村の駅舎の中には古いバイクがたくさん置いてあったと知り、そちらが気になってしょうがありません。
現在は四村の駅舎も取り壊されてしまったので、どこかに移動していったでしょうね。同様に静鉄駿遠線の神戸駅も少し前に無くなってしまいました。
燃料事情が悪い時期は蒸気機関車が良く立ち往生したとか言われていますが、県内の出版社による奥山線関係の記事ではそのようなことは無かったと当時の利用者だった人の証言がありました。
コルト600はかなりカルトな車でして、それをパッと言えるのは感心してしまいます。カルトすぎて欲しくて探している人もほぼいないくらいの車ですよ。
U-BOATさん
返信削除四村駅は部分廃線となった奥山~気賀口間にあった駅で、よくぞそんな駅舎を訪問されましたね。
私も廃線後に四村の駅舎を訪問しましたが後に消えてしまったんですね。
奥山~気賀口間は大変に素晴らしい区間であり遺構が次第に消えて行くのが残念です。
ただ一度の一往復乗車で見た沿線風景が強烈に印象に残ります。
コルト600は新井さんの「軽便探訪」のあと書きに書いてあったので知ったものです。
大変珍しいクルマのようですね。
いつも楽しく拝見しております。
返信削除早速ですが、話題の車はマツダのR360ではないでしょうか。
あの時代に2シーターを買えるって凄い事だと思います。
匿名さん
返信削除ありがとうございます。
マツダR360には気がつかなかったです。
この車のリヤビューと金指の写真を拡大して比較してみると
マツダR360に間違いないようです。
日本のマイカー幕開け時代に我が家にもR360があって
狭苦しい後部席に乗せてもらったことが思い出されます。
何度もすみません。写真の車、マツダR360のようにも見えますね。マツダR360はリアガラスが大きく再度に回り込んでいるのが特徴なので、もう少し大きめの写真が有れば確定できたかもしれません。
返信削除揚げ足取りな事を言うようですみませんが、R360は一応4人乗りです。
後部座席には未就学児しか乗れないくらいの広さだったような。どうしても3ボックススタイルにしたかったんでしょうね。
現在も実働状態で動いている車両もあるはずですが、タイヤはチューブが必要で、スバル360あたりのチューブは適合しなかったと思います。
残存台数が少ないため、チューブは長らく欠品で、オーナーさんたちは古いチューブにパッチを当てながら大切に使っていると聞いています。
U-BOATさん
返信削除クルマはかなりマニアックですね。
確かにR360の後部座席は幼児が乗ってちょうどよいくらいでした。
1964年、急用で兄のR360の後部座席に押し込まれて都心に向かったことが思い出されます。
R360は4シーターだったのですね!
返信削除間違ったコメントをしてしまい、申し訳ありませんでした。
キャロルやスバル360に比べて格段にキャビンが小さいので、てっきり2シーターだとばかり思い込んでおりました。
路面電車の写真があると、肝心の電車そっちのけで周囲の車ばかり観察するのですが、案外R360が写り込んでいるんですよね。
2シーターを買う(買える状況にある)人がこんなに居るものだろうか?と長年不思議に思っていたのですが、4シーターであれば・・・と合点が行きました。
今回は一つ勉強させて頂きました。どうもありがとうございます。