元国鉄ED4010に復元された東武日光軌道線ED602の今を大宮鉄道博物館で改めて眺め、ノーマル電機E611の貨物列車が走っていた風景をこのバケモノ電機ED602に置き換えて当時の日光街中の光景を想像してみました。
元国鉄アプト式に復元され展示中のED4010. 大宮鉄道博物館 2015年7月
日光軌道線の降坂では運転室のない第1端側を前面にして降りてきた.
廃線間近の頃、ED611が牽く貨物列車が日光駅へ下る風景. 1967.12.21 撮影:田辺氏
屋内展示のせいでよけい巨大に見えるこんなバケモノ電機ED602が観光都市日光のど真ん中こんな風景を昭和30年頃まで走っていたことになる。もしこれが今走ったら大変な生きた文化遺産、観光資源になることでしょう。
昭和30年頃まで活躍したED602.ロッド駆動のサイドビューが魅力的. 清滝電車区 撮影:青蛙氏
参考: RM LIBRARY 第148巻 国鉄アプト式電気機関車 小林正義 著 ネコ・パブリッシング発行
Katsuさん ご無沙汰しています。日光軌道線の連載、興味深く拝見しました。
返信削除日光軌道線は、中学の修学旅行で参道から垣間見た貨物列車が鉄道趣味に目覚めるきっかけとなった想い出深い鉄道のひとつです。日光軌道が貨物鉄道として敷設されたのを知ったのは最近のことでした。
ところで、米軍が撮影した航空写真の中に面白いものを見つけました。航空写真は連続して3枚にわたり同一地点が記録されるようになっています。
www.freightcar.jp/transit/nikko/index.htm
画像Aは、接続線を国鉄ヤードへ下りてゆくED60の牽く列車と思われます。
画像Bは、東武日光駅前に停車している2両編成の旧型トラムの車体長と比べ、トロリーフレイトではないかと思われます。
清滝からやってきたトロリーフレイトは日光駅前のループで方向転換し、推進運転で国鉄のヤードまで下って行ったのではないでしょうか。画像の右側でも2両編成くらいの列車がうごめいています。L電は貨車の受け渡しを終えるとそのまま清滝へなんて想像してしまいます。
若尾氏の「戦後を走った木造車 1」に、国鉄ヤードとの接続地点付近で撮影された貨車を従えたデト40形が掲載されていますが、清滝川に運転席を向けています。それによると、接続地点は画像Aの3枚目の列車先頭、一番大きな倉庫(古河電工 日光荷扱所)の左角あたりだったと思われます。
参考までに廃止後ですが、接続地点付近で撮影された画像を見つけました。ヤードの線形は変わっていますが、背後に接続線の跡が確認できます。
[YASUBEE's鉄道写真ギャラリー] ttp://ameblo.jp/yasubee-t/image-10747337194-10938935861.html
青蛙さんの「古河電工のL電」はこの付近で撮影されたものと思われます(ちなみに後ろの倉庫は現存しているようです)。日光駅の古河電工施設は規模の大きなものですので、入替専用機がいたとするのが自然ではないでしょうか。
日光軌道線の貨物輸送にはまだまだ謎が多いですね。東武日光線開通以前の貨物積換え施設の場所なども気になっています。
#9999さん
返信削除お久しぶりです。
興味深い情報ありがとうこざいました。
日光駅の航空写真は前に私もしつこく探したのですかこんな鮮明なものは見つかりませんでした。
東武本線の築堤から国鉄日光駅のヤードへ下るところが判るような気がします。
私は青蛙氏が撮った工場内搬送車のL電には全く関心がありませんでしたが、よく見ると背後に国鉄日光駅を見つけ俄然関心が高まりました。L電は清滝の工場からやってきてこの日光駅倉庫で貨車の受け渡しをやっていたのは間違いないと思います。
またL電が連なって日光金谷ホテルを背後に下川原を登っていく写真が「私鉄車両めぐり」あります。
L電は台数も多く時代と伴にその役目も変化して行ったのではないでしょうか。
古河鉱業精錬所の貨物輸送の歴史はかなり大きなテーマですね。
元アプト東武ED602とL電が連携して活躍していた時代が一体どんな風景だったか
今、大宮鉄博に鎮座している国鉄ED4010は全てを見てきたのですね。