グラバー邸の一角から長崎の街と大浦支線を眺める。
築町から海岸通りを走り電停「大浦海岸通り」で→ へ曲がる大浦支線が見える。遠くの木立に囲まれた美しい三角屋根は活水女子大学のようだ。
以前 長崎電軌大浦支線 で取上げた昭和42年の長崎の街↑を見ていると更に当時の長崎の街並を追ってみたくなってきた。もう47年も昔のことで学割周遊券を使った車中泊の旅はこの春が最後となった。
撮影位置が不明だが、たぶん大浦天主堂あたりの高台からか?
右手の教会風建物などから撮影位置を割り出してみる楽しみがある。→後日アップしました。
大浦石橋通りの背後に迫る高台に民家が密集している。弁天橋電停(現在の大浦天主堂下)
午前中この大浦石橋通りの路面電車を撮り、午後は長崎駅前から市内めぐり観光バスに乗ってまた同じところに舞い戻って来た。弁天橋でバスを降りて自由行動の大浦地区めぐりであった。
朝の長崎駅前. 1967.03.03
昼の長崎駅前.
蒸機の旅客列車が盛んに発着していた長崎駅.
この当時、500形は登場後1年足らずの新車ですね。前面窓枠の改修や冷房化、台車交換などを経て現在も使われ続けていますが、長崎駅前に集う200・210形や木造ダブルルーフの160(170)形ですら今も姿形を変えて残っているのは驚きです。
返信削除道行く車もスバル360やオート三輪などなかなか興味深いものが・・・。電車だけでなく、撮影当時の街並みや交通世相まで丸ごと写し込めるのが路面電車撮影の醍醐味ですね。
影武者さん
返信削除私が訪問した昭和42年は500形までが在籍で600形以降はまだ居ませんでした。
当時在籍していた500形までの車両形式の全てが今も残されているのが凄いですね。
さすがに最古参の元小田原市内線の150形や元西鉄福岡の160形はイベント用に使われるようですね。
昭和25年生まれの200形が64年後の今も現役で活躍する車両寿命はたいしたものです。
katsuさん
返信削除長崎駅の蒸機の次の写真、家並みの手前の直線道路は多分小浜温泉鐵道の線路跡ですよ。この手前バスが峠を下るとき右下に湾に沿った見事なカーブ築堤も見えたはずですが・・
車楽齋さん
返信削除情報ありがとうございました。
あの風景写真を載せた甲斐がありました。
あんな素敵な風景の中を雲仙小浜行きの温泉軽便鉄道が遠い昔に走っていたのですか。
正に夢のような風情満点の鉄道ですね。
この写真を撮った位置からバスは暫く海岸沿いを走ったので廃線跡が
どこかに写っているのかも知れません。
廃線跡と当時のバス道路の位置関係を調べてみたいと思います。
車楽齋さん
返信削除私が撮った写真の位置はgoogleストリートビューで確認しましたが海の向こうの半島のカタチと手前の集落から愛野を出て、初めて海に出る千々石町の集落が見えたところだと思います。
サイト「歩鉄の達人」さんの廃線跡探索記事とも一致するのではと思います。
katsuさん
返信削除失礼しました。確かに愛野から57号線を走り愛野展望台から下る途中から見た橘湾です。
湾の対岸の山裾を巻いて向こうの小浜側と勘違いしていました。
車楽齋さん
返信削除あの海は橘湾というのですか。
長崎の風光明媚なこんな風景に憧れてしまいます。
katsuさん
返信削除小浜から、写真で対岸の山裾を築堤やトンネルなどの廃線あとが県道になっていてこの写真に写っているいかにも線路跡と判る区間まで来られます。この先、50年前には展望台下を海岸線に沿って走り愛野までそれと判る道があったのですが、今は通れるか不明です。当時も愛野近くになると農道や私道、果ては家があったりしてましたから。
「右手の教会風建物」は浦上天主堂です。
返信削除匿名さん
返信削除コメントありがとうございました。
ご教示のお蔭で、やっとこの写真を撮った場所が分かりました。
調べた結果を整理してアップしてみました。