兵庫の別府鉄道からスタートし山陽路から山陰そして北陸金沢に着き、金沢から北鉄能登線を訪問した日は羽咋から津幡に戻り北陸本線で富山へ移動した。こんな旅の合間合間に写った昭和37年の通りすがりの風景は、余りにもありふれたカットで関心もなかったが、今になってよく見ると特に昭和30年代の街の風景は年々その感じ方が変わって来ている。日本の昭和30年代と現在との風景の落差が年々増大しているせいなのでしょう。
金沢市内線 1962.08.02
金沢市内線もまだ単車が活躍していた時代であった
金沢駅のC57 1962.08.02
金沢駅の96
尾小屋鉄道を終えて金沢で一泊した翌朝で、
朝の金沢から国鉄七尾線に乗って羽咋へ向かった.
朝の金沢から国鉄七尾線に乗って羽咋へ向かった.
金沢の電車のさりげないカットが魅力的ですね。
返信削除緑の単車、見て見たかったです。
C57の美しい姿にも鉄道が元気だった時代を偲ばせるものがありますね。
お化粧されたカマとはちがう、現役時代の良く手入れされた、いぶし銀のような輝きが見事に記録されていますね。現在ではこの輝きを望むことは出来ないでしょう。
返信削除chitetsuさん
返信削除将来の金沢が昭和30年代の生まれ変わりで、先進的なLRT、EVオート3輪などが登場し下駄履きで歩く人が見られる街になったら楽しいでしょうね。
私鉄、国鉄とも鉄道が美しかった時代だと思います。
lodgershinmeishrineさん
返信削除この頃の国鉄SLの美しさはお召し列車のような黒光りとは確かに違いますね。
それとこの頃の国鉄SLにはシールドビームなど変なものが装備されてなく本来の美しさが維持されていたと思います。
こんな1960年代のSLを撮っていたSLファンは素晴らしい作品が撮れて幸せだと思います。