東京オリンピックが開催された翌年の1965年は、高度成長の所得倍増政策が1960年にスタートして5年が経ち、次の高度成長躍動期がスタートした年でした。この年の秋に晴海で開催された「東京モーターショウ1965」には夢のマイカーを見ようと多くの人々が押し寄せました。
この年の展示はプロトタイプやレーシングカー、スポーツカーが多かったようで、大衆車ではスバルを除けばその後直ぐに消えてしまったような車ばかり。まだまだマイカー時代の幕開けはこの先のことでした。
日野GTプロトタイプ
ホンダN800
ダイハツ
スバル
ところが翌年の「東京モーターショウ1966」になると、それまで決定打がなかった大衆車にサニーとカローラが登場し、いよいよ本格的なマイカー時代の幕開けとなった。学生だった私にとってマイカーは遠い存在でサニーもカローラも関心がなかったのか写真もなく微かな記憶だけでした。
東京モータショー1966の人々の熱い眼差し. 1966.10.30
都市部を除くと日本の各地はどこもホコリが白く漂っていた.
オリンピック開会式の日の横浜駅前の車. 1964.10.10 横浜市電は1972年全廃
Katsu様より、少し年下の私はこの横浜駅前の景色の二軸路面電車が前後にガクガク揺れながら走るのを横目で見ながら、高校に通っていました。高度成長で自動車が急速に増えて、同時に大渋滞と排煙公害が増えて行った頃です。まるで現在の中国等の発展途上国と同じでした。どの国でも(もしかすると人でも)通る道は同じなのかもしれませんね。
返信削除lodgershinmeishrineさん
返信削除この広々した駅前はは桜木町と思っていたら看板を見て横浜駅前であることが分かりました。
横浜駅前も自動車が増えてきた頃でしょうか。
単車の市電が走る横浜で、この頃高校生だったということはまさにアニメ「コクリコ坂から」の高校青春時代ですね。
道路は整備され街は綺麗になってきても排煙排ガスの公害がひどいものでしたね。
そんな日本がほんとうに綺麗になったものです。
モーターショーの熱気と電車の対比。お見事です!
返信削除Cedarさん
返信削除この頃は地方私鉄の敵であったクルマは大嫌いだったのに・・・
次第にクルマに熱中していた私です。
あの時のモーターショウの熱気はクルマを使ったレジャーが花開いた時代でした。
地方私鉄沿線のホコリ道、これが日本の姿でしたね。