2012年1月21日土曜日

都電杉並線 最後の日

1964(昭39)年の東京オリンピック開催に向けて東京が大きく変貌していた頃、
都電杉並線はオリンピック前年の1963(昭38)年11月に最後の日を迎えた。
東京郊外西へ向かう1067mm軌間の路面電車も、昭和37年地下鉄丸の内線の全通で役目を終えた。
杉並線が走る青梅街道の風景もオリンピックに向けての工事が既に終えたのか、すっきりしてきたように見える。

新宿大ガードの前にあった杉並線「新宿駅前」もこの日が最後 1963.11.30 画像クリックで拡大

最後を惜しむ家族連れ

車社会の到来で路面電車が邪魔者に. 杉並車庫前


青梅街道の天沼陸橋を行く.こんな殺風景さが昭和30年代らしい.

沿線には最後を惜しむ人々が

夕闇せまる天沼陸橋

6 件のコメント:

  1. 私も父と一緒に最終日の杉並線のに乗りに行きました。鍋屋横町~杉並車庫~荻窪と撮影しつつ移動しました。
    沿道にはやたらに人が多くて早々に退散しました。今でも所謂<弔い鉄>が嫌いなのはこの時と銀座通り都電廃止のお祭り騒ぎに、なんだか割り切れない気分になったのが原因でしょうか?

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  2. Cedarさん
    そうでしたか、最終日は大変なお祭り騒ぎだったようですね。
    私も杉並車庫から荻窪の手前天沼陸橋まで歩いたのですが、人が多いところは避けていたのか沿線の人出の多さが記憶に残っていません。
    最終日はその人出を丸ごと撮ってしまうのも楽しいと思いますよ。

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  3. 私も最終日の杉並線の撮影に出かけて鍋屋横丁、新宿、杉並車庫で撮影しています。
    鍋屋横丁は装飾した電車を見る人が沢山いました。
    私のホームページにこの時の写真をアップしていますのでよろしかったら見てください。
    http://homepage3.nifty.com/m_horikoshi/3_5Toden/_Rt_03__14_suginami_2.htm

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  4. 堀越さま
    コメントありがとうございます。
    貴HPの杉並線最終日を拝見しました。
    この写真こそ私が最近ネットで見た杉並線最終日の賑わい風景でした。私は何故これを撮らなかったのか惜しい想いをしています。

    都電を各路線ごとに整理されているのが圧巻ですね。
    そしてこういう生活感ある視点で都電を捉えるとその時代を感じ楽しくなります。
    当時私は全くその魅力に気付いてなく、写っていたのはつまらぬ都電ばかり、杉並線以外は未だにネガも確認していません。

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  5. 天沼陸橋のすぐ北に実家があり、非常に懐かしさを覚えます。生まれた時は都電は廃止されていましたが、陸橋にはよく遊びに行きました。都電の横に「レート」という文字が見えますが、これは当時陸橋の北側にあった「富士スレート」工場です。工場跡は現在創価学会の建物になっています。

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  6. やすおさん
    天沼橋から見えたレートの文字の解説ありがとうございました。
    都電杉並線の天沼橋に思い出がある方は多いようですね。
    路面電車の写真では街並の看板の文字が時代を表わし、画像を拡大して意外な発見があったりすると楽しいものです。

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