その時の「日本の社会の変わり目」の再編集版です。
この1964(昭和39)年の頃、大都市では既に車社会の到来が始まっていました。なんとか行き残ってきた地方私鉄もこの頃から急速に衰退して行く。この激変は一体何があったのか、私の中で漠然としていた高度成長時代の社会の変わり目と、地方私鉄の衰退を時系列に対比してみました。(軽便鉄道は地方私鉄衰退の事例として並べたものです)
これを見ると、私が地方私鉄を最も撮った時期1964(昭和39)年頃の日本は高度成長による社会の変わり目で、この年の東京オリンピック開催以降は高度成長のなかでも劇的な社会の変化で、車登録台数の急増や道路舗装率のデータからも爆発的な「車社会の到来」の時代であったと言えるでしょう。
地方へ撮影に出掛けた1962~1964年頃は大都市を除けば地方の道路はまだトラックやマイカーも少なく、地方私鉄には活気ある路線も見ることができました。それが1965(昭和40)年~に入ると沿線の道路整備も始まり車の姿が多くなってきて、それまでの地方私鉄の活気もあっという間に衰退→廃線へと向かったのでした。
1960年代の地方私鉄が様変わりして行く風景は、日本の社会の大きな変わり目に地方私鉄が翻弄されて行った時代であった。
参考図書: 「高度成長-昭和が燃えたもう一つの戦争」 保阪正康 著 朝日新聞出版
この1964(昭和39)年の頃、大都市では既に車社会の到来が始まっていました。なんとか行き残ってきた地方私鉄もこの頃から急速に衰退して行く。この激変は一体何があったのか、私の中で漠然としていた高度成長時代の社会の変わり目と、地方私鉄の衰退を時系列に対比してみました。(軽便鉄道は地方私鉄衰退の事例として並べたものです)
これを見ると、私が地方私鉄を最も撮った時期1964(昭和39)年頃の日本は高度成長による社会の変わり目で、この年の東京オリンピック開催以降は高度成長のなかでも劇的な社会の変化で、車登録台数の急増や道路舗装率のデータからも爆発的な「車社会の到来」の時代であったと言えるでしょう。
地方へ撮影に出掛けた1962~1964年頃は大都市を除けば地方の道路はまだトラックやマイカーも少なく、地方私鉄には活気ある路線も見ることができました。それが1965(昭和40)年~に入ると沿線の道路整備も始まり車の姿が多くなってきて、それまでの地方私鉄の活気もあっという間に衰退→廃線へと向かったのでした。
1960年代の地方私鉄が様変わりして行く風景は、日本の社会の大きな変わり目に地方私鉄が翻弄されて行った時代であった。
1963年の新宿西口 青梅街道.
前年に続き展示された初代サニー1000
1966年にスタートしたマイカー時代は1967年秋の東京モーターショウで更に身近なものに.手の届かぬ存在のマイカーだったが、身近な人がすでにサニー1000を購入していた.1966(昭和41)年に大衆車サニー、カローラが発売され、晴海で開催された東京モーターショーは大変な熱気であった。この銀座四丁目の晴海通りはそんなマイカーが身近な存在となってきた車社会到来の時代が思い起こされる。街行く人々に夢と希望が溢れ、昭和40年代の日本は経済大国への道をまっしぐらに進んでいた。
1966東京モーターショー都電に乗り行きました トヨタ2000GTやコスモスポーツが展示されてました どちらも手にする事出来ませんでしたが いすゞ117クーペには乗る事出来ました
返信削除jha141さん
返信削除1966年の晴海モーターショーへ行かれましたか。この1966年はカローラ、サニーが展示され日本のマイカーのエポックメイキングの時代だったと思います。それまでやたらレーシングカーなど夢のクルマ展示が多かったけど、やっとまともな大衆車が登場した年だったと思います。