その昔、国鉄磐越西線の川桁駅に下車し駅前に出ると沼尻鉄道の川桁駅があり広い構内と硫黄を国鉄貨車に積替する貨物ホームなどがあり、駅前には旅館や集落もあった。先日、磐越西線各停に乗り日が暮れた川桁駅に停まると駅は無人駅で、その先の駅前は真っ暗でひと気もなし。こんな寂しい風景は今やどこの駅でも同じようだが、かつての川桁駅を思い浮かべるとあまりの変わりように悲しくなった。
川桁は懐かしい場所です東北縦貫道が出来る頃 良く行きました中山峠でチェーンを嵌め はじめは雪が珍しく嬉しかったですが チェーンの脱着が面倒で参りました 今は雪の降り方が変わったそうです 機関車の走る姿は殆ど記憶なく貴重な写真が見れてうれしいです。
jha141さんこの時代の川桁を知る人は今やかなりの年配者になってしまいました。軽便鉄道ファンにとっては川桁から出ていた沼尻鉄道は憧れの地だと思います。沼尻鉄道を知らない世代の軽便ファンが今も情景を求めてジオラマを製作しています。
川桁の駅前には旅館や集落…先日、旧長野原線の太子駅跡を訪ねたのですが、全く同じだと思いました。駅は復元されて資料館になっていて、地元の小学生が当時の事を調べて模造紙に(いかにも学校の課題っぽくて微笑ましいのですが)イラスト化してあり、それによれば駅前にパチンコ屋など一通りの遊興施設もあり、賑わっていたようです。街の産業が賑わいを生み、その中心風景に必ず駅があったという点で共通するものがあったのでしょうか。寂しくなった現在の駅から往時を偲ぶと、懐かしさや寂しさが混ざった不思議な気持ちになる事があります。
esehoku さんごめんなさい私の文章の表現がまずくて。夜の川桁の駅前風景は真っ暗闇で昔の集落などは消えてしまったかのように思えたのですが、Googleで空から見ると集落は今もしっかりありました。駅前風景は沼尻鉄道の構内施設がそっくり消えてしまった寂しさだけかも知れません。旧長野原線の太子駅跡のようにかつて賑わった街と駅が消滅してしまったところは全国至るところにありますね。それと違って、川桁の場合は無人化されたJR駅と消えた沼尻鉄道の寂しさだけかも知れません。
川桁は懐かしい場所です東北縦貫道が出来る頃 良く行きました中山峠でチェーンを嵌め はじめは雪が珍しく嬉しかったですが チェーンの脱着が面倒で参りました 今は雪の降り方が変わったそうです 機関車の走る姿は殆ど記憶なく貴重な写真が見れてうれしいです。
返信削除jha141さん
返信削除この時代の川桁を知る人は今やかなりの年配者になってしまいました。
軽便鉄道ファンにとっては川桁から出ていた沼尻鉄道は憧れの地だと思います。
沼尻鉄道を知らない世代の軽便ファンが今も情景を求めてジオラマを製作しています。
川桁の駅前には旅館や集落…
返信削除先日、旧長野原線の太子駅跡を訪ねたのですが、全く同じだと思いました。
駅は復元されて資料館になっていて、地元の小学生が当時の事を調べて模造紙に(いかにも学校の課題っぽくて微笑ましいのですが)イラスト化してあり、それによれば駅前にパチンコ屋など一通りの遊興施設もあり、賑わっていたようです。
街の産業が賑わいを生み、その中心風景に必ず駅があったという点で共通するものがあったのでしょうか。
寂しくなった現在の駅から往時を偲ぶと、懐かしさや寂しさが混ざった不思議な気持ちになる事があります。
esehoku さん
返信削除ごめんなさい私の文章の表現がまずくて。
夜の川桁の駅前風景は真っ暗闇で昔の集落などは消えてしまったかのように思えたのですが、
Googleで空から見ると集落は今もしっかりありました。
駅前風景は沼尻鉄道の構内施設がそっくり消えてしまった寂しさだけかも知れません。
旧長野原線の太子駅跡のようにかつて賑わった街と駅が消滅してしまったところは
全国至るところにありますね。
それと違って、川桁の場合は無人化されたJR駅と消えた沼尻鉄道の寂しさだけかも知れません。