昭和37年、尾小屋鉄道の新小松で見た車庫風景です。機関車DC121のカラーもまだクリーム/赤になる前で濃淡の緑だったような?これから時代が変わる前で、それまでの尾小屋鉄道がそのまま残されている感じがした昭和37年の真夏でした。
新小松駅の風景は、この15年後に廃線になるまでそう変わらなかったように記憶しています。最後の画像、貨車の手すりにかかっている白い布は何でしょう? シャツのように見えますが、構内作業員さんが適当に脱いで掛けてあるのか、洗濯でもして干してあるのか…いずれにしても、この無造作な風景が尾小屋だと思いました。
esehokuさん白い布は作業着のようですね。末期の新小松の車庫では左の線路2線が外されてバスの整備工場になって、バスと鉄道が混在している車庫になっていました。確かに駅はその後もそう変わっていないようでした。気動車など塗られていた旧塗装(赤のラインが入ったグリーン濃淡)がこの後、全て黄/赤に統一され昭和30年代らしいカラーが消滅してそれまでの尾小屋鉄道のイメージが随分変わった気がしたものです。そう言えば当時三重交通から来た木造客車もまだ三交カラーでした。
生まれも育ちも小松なので、あまりに懐かしくコメントさせていただきます。尾小屋鉄道には小学生の時に毎夏、西俣町にキャンプに出掛ける時に乗りました。終着の尾小屋の1つ手前の駅で降りて、テクテク歩いて行ったことを覚えています。また「遊園地前駅」というのがありましたが、1970年ころには既に遊園地は無く、子ども心ながらに不思議でした。
Repu さん生まれも育ちも小松でしたか。昔の尾小屋鉄道の日常はよ~くご存知ですね。そして今の変わりゆくJR小松駅東側のコマツ工場跡地の変貌ぶりもよくご存知ですね。私にとって尾小屋鉄道と小松市は最も多く訪問した土地でした。今やあの時の風景は全てが消えてしまったようですね。
新小松駅の風景は、この15年後に廃線になるまでそう変わらなかったように記憶しています。
返信削除最後の画像、貨車の手すりにかかっている白い布は何でしょう? シャツのように見えますが、構内作業員さんが適当に脱いで掛けてあるのか、洗濯でもして干してあるのか…いずれにしても、この無造作な風景が尾小屋だと思いました。
esehokuさん
返信削除白い布は作業着のようですね。
末期の新小松の車庫では左の線路2線が外されてバスの整備工場になって、
バスと鉄道が混在している車庫になっていました。
確かに駅はその後もそう変わっていないようでした。
気動車など塗られていた旧塗装(赤のラインが入ったグリーン濃淡)が
この後、全て黄/赤に統一され昭和30年代らしいカラーが消滅して
それまでの尾小屋鉄道のイメージが随分変わった気がしたものです。
そう言えば当時三重交通から来た木造客車もまだ三交カラーでした。
生まれも育ちも小松なので、あまりに懐かしくコメントさせていただきます。
返信削除尾小屋鉄道には小学生の時に毎夏、西俣町にキャンプに出掛ける時に乗りました。終着の尾小屋の1つ手前の駅で降りて、テクテク歩いて行ったことを覚えています。
また「遊園地前駅」というのがありましたが、1970年ころには既に遊園地は無く、子ども心ながらに不思議でした。
Repu さん
返信削除生まれも育ちも小松でしたか。
昔の尾小屋鉄道の日常はよ~くご存知ですね。
そして今の変わりゆくJR小松駅東側のコマツ工場跡地の変貌ぶりもよくご存知ですね。
私にとって尾小屋鉄道と小松市は最も多く訪問した土地でした。
今やあの時の風景は全てが消えてしまったようですね。