2021年3月7日日曜日

西大寺鉄道 広谷駅


 


1962年7月29日 この日の訪問記を調べてみると、西大寺鉄道と並走する全通間近い赤穂線の新しい軌道のことが書いてあった。これまで気付かなかったが赤穂線は広谷あたりで最も接近している。そこで写真を改めてみると洗濯物の向こうに新しい軌道が見える。


1962年9月1日赤穂線全通の数日後、9月6日に西大寺鉄道は廃止となった。

左手遠方に広谷を発車した気動車キハ6が見え、右手に西大寺の草ボウボウ線路の向こうに並走する赤穂線の新軌道がはっきりと分かる。この時の記録によれば新軌道でD51の重連が何か作業をやっていることが書かれていた。新軌道の試運転かバラスト硬めなどをやっていたのだろう。
58年前の遠い昔のことをネットで調べると、ほぼ同一日にここでD51を撮っていた鉄道ファンがいたのには驚いた。


左手部分拡大で広谷を発車したキハ6が見える。


広谷を発車し西大寺市へ向かうキハ6。

6 件のコメント:

  1. 両備バスが廃止記念に制作した記録映画
    「西大寺鉄道風雪52年」冒頭のシーンは
    広谷駅付近だったんでしょうか。
    走ってくるキハ10系2連から左にパンすると
    並走するキハ6、キハ7の2連がやってくるというシーンでした。

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  2. 本州唯一の3フィートナローには行けてませんが、最近模型でOナローをいじってます。西大寺鉄道の車体の大きさははニブロクのと変わらないようで、がに股ナローですね。

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  3. にぶろくさん
    両備バスが制作したビデオを10年以上前に現地の人に送ってもらい私も見たことがあります。
    強烈な時代インパクトがある素晴らしい動画ですね。

    並走する場面は広谷駅前後で接近するところだと思います。
    赤穂線全通から西大寺廃線までの6日間か最終日に撮られたと思われます。
    はるか遠い昔の事になってしまいました。

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  4. Cedarさん
    標準軌にOナローを入れた3線式軌道がお見事ですね。
    時々、Oナローの線路にHOが入線したりするとスケールがよく分からなくなってきます((笑))
    まあ楽しそうな事! 疲れもふっ飛びますね。

    最近はNゲージでもフルスクラッチは精巧で写真では16番かNか分からないくらいです。
    いつも車輪のフランジ高かカプラーで見分けています。

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  5. 広谷駅には特別な思いがあります。赤穂線接近の場所で重量走行試験でD51の重連がゆっくりと走行していました。私はその重連のD51を撮影しました。撮影を終えて広谷駅に戻る途中西大寺鉄道の小川にわたる橋げたを歩いていましたが踏み外してしまいカメラを壊してしまったのです。一筆書きの私鉄散策が始まったばかりで頭が白くなりました。持参していたオリンパスペンで各地のナロウゲージを訪ねました。痛恨の出来事でした。
    数年たって西大寺鉄道の気動車の模型を造り始めましたがこの出来事を思い出すと制作する意欲がなくなり
    車体だけ残して数十年飾り棚に放置したままです。広谷駅は私にとって忘れることができない駅となりました。
    西大寺、井笠、尾小屋、頚城など回りましたが残念な思いです。

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  6. 青蛙さん
    ほんとうに痛恨のカメラ破損でしたね。
    西大寺鉄道の腐った枕木が折れて足が田んぼの小川へドボンだったと思います。

    この時のD51の件をネットで調べてみたら地元の鉄ファンがほぼ同一日にこのD51風景を撮っていました。
    そしてこの方の西大寺鉄道の沢山の写真が素晴らしいこと、まさに小津安二郎の世界!!
    西大寺でこれほど見事な写真は見たことがありません。

    青蛙さんの作りかけ模型の話しは初めて聞きました。
    私が西大寺で無性に作りたいのは巨大バケモノ単端キハ8形です。
    マリモさんが製作した西大寺ボギー客車は今も保存してあります。
    当時私が作った西大寺単端キハ3は今も整備分解中のままで早や56年になります。

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