くじ場にいた井笠の9号機(ベルギーのコッケリル製Bタンク)
臼井茂信さんの「機関車の系譜図2」にこの機関車の詳細な経緯など調査報告が掲載されています。1967年にくじ場の格納庫にいた9号機は1968年には笠岡に保存され、その後転々とし現在は井原に保存されているようです。
この写真は兄が撮影したもので撮影日、場所は不明です。
計7両も保存(保管?)していたとは井笠鉄道は車両を大切にする社風なんでしょうね。営業廃止の数年後に鬮場車庫を訪問した時も(火災の前です)車庫には多くの気動車、客車が残されていましたし。
カラー写真は伏見桃山城ですね。自分も高校の修学旅行(1979年)の時に撮りました。改めて見るとかなり大きな機関車で、客車との釣り合いがイマイチのような?井笠ではほとんど活躍出来なかったのもなんとなく納得出来ると言うか。
にぶろくさん廃線後のくじ場にあれだけ車両を残したのは目的があったのでしょう。
なとさんありがとうございます。写真は伏見桃山城でしたか。9号機コッケリルのくじ場から点々と移動した流転の旅は7号機コッペル以上だったのかも知れません。写真は野辺山SLランドではなかったのが良かったです。
計7両も保存(保管?)していたとは
返信削除井笠鉄道は車両を大切にする社風なんでしょうね。
営業廃止の数年後に鬮場車庫を訪問した時も
(火災の前です)
車庫には多くの気動車、客車が残されていましたし。
カラー写真は伏見桃山城ですね。
返信削除自分も高校の修学旅行(1979年)の時に撮りました。
改めて見るとかなり大きな機関車で、客車との釣り合いがイマイチのような?
井笠ではほとんど活躍出来なかったのもなんとなく納得出来ると言うか。
にぶろくさん
返信削除廃線後のくじ場にあれだけ車両を残したのは目的があったのでしょう。
なとさん
返信削除ありがとうございます。
写真は伏見桃山城でしたか。
9号機コッケリルのくじ場から点々と移動した流転の旅は
7号機コッペル以上だったのかも知れません。
写真は野辺山SLランドではなかったのが良かったです。